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    控訴人準備書面(1、2)(3は別途)大阪高裁 平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件

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      控訴人準備書面(1、2)(3は別途)大阪高裁 平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件

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      2008年10月28日(火)

       

      高裁判決日程等のご案内

      沖縄集団自決冤罪訴訟の大阪高裁判決は
      10月31日(金)
      午後2時より
      傍聴券抽選は午後1時30分です。

       

      2008年10月28日 06時25分

       

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      2008年10月02日(木)

       

      控訴人準備書面(1) 目次 及び、第1

      平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件    
      (原審 大阪地方裁判所 平成17年(ワ)第7696号)   
      控 訴 人  梅澤裕、赤松秀一
      被控訴人  株式会社岩波書店、大江健三郎     
           
        
        
      控訴人準備書面(1)
                        
      平成20年9月5日 
      大阪高等裁判所第4民事部ハ係 御中  

                      控訴人ら訴訟代理人

                     弁護士  松  本  藤  一

                     弁護士  徳  永  信  一

                     弁護士  岩  原  義  則

                     弁護士  大  村  昌  史

                     弁護士  木  地  晴  子

                     弁護士 中  村  正  彦

      弁護士 高 池  勝 彦      弁護士 本 多 重 夫

      弁護士 青 山 定 聖 弁護士 荒 木 田 修

      弁護士 猪 野   愈      弁護士 氏 原 瑞 穂 
      弁護士 内 田   智      弁護士 小 沢 俊 夫 
      弁護士 勝 俣 幸 洋      弁護士 神 崎 敬 直    
      弁護士 木 村 眞 敏      弁護士 田 中 平 八 
      弁護士 田 中 禎 人      弁護士 小 沢 俊 夫 
      弁護士 田 辺 善 彦      弁護士 玉 置   健 
      弁護士 中 條 嘉 則      弁護士 中 島 繁 樹 
      弁護士 中 島 修 三      弁護士 二 村 豈 則 
      弁護士 馬 場 正 裕      弁護士 羽 原 真 二 
      弁護士 浜 田 正 夫      弁護士 原   洋 司 
      弁護士 藤 野 義 昭      弁護士 三ツ角 直 正 
      弁護士 牧 野 芳 樹      弁護士 森   統 一 
        
      − 目 次 −  
                  
      第1 「真実相当性」に関する再反論 ‥‥‥‥‥‥ 4
       1 口頭弁論終結時における真実性と真実相当性の判断が異なることの問題点  ‥‥‥‥‥ 4 
       2 「隊長の関与」に基づく「公正な論評」であるとの主張について  ‥‥‥‥‥‥‥ 11 
       3 「軍の関与」と同一性のない「隊長命令」の事実摘示は許されない  ‥‥‥‥‥‥‥ 15  

      第2 事後的な出版差止め要件に関する再反論  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 20
       1 被控訴人の主張  ‥‥‥‥‥‥ 20 
      2 原判決が示した基準の誤り(控訴理由書の補充)  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 20 
       3 「真実相当性」は差止めの要件とはなりえない  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 23

      第3 平成18年度教科書検定は「改め」られたか ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 25 
       1 はじめに ‥‥‥‥‥ 25
       2 東京書籍「日本史A 現代からの歴史」 ‥‥‥‥‥‥‥ 26
       3 実教出版「高校日本史B 新訂版」 ‥‥‥‥‥‥‥ 28
      4 新聞各紙は最終の検定結果をどう報じたか  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 29
       5 一貫している教科書検定の考え方と被控訴人らの誤導 ‥‥‥‥‥‥‥ 31 

      第4 手記「戦斗記録」のゲラと『紀要』末尾6行 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 32
       1 はじめに ‥‥‥‥‥‥‥‥ 32  
       2 『紀要』作成までの関係証拠の整理 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 33
       3 大城将保の弁解について ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 34
      4 結論 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 36
       5 「真相は梅澤氏の手記のとおり」 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 38
      6 補足−神戸新聞記事と梅澤供述の信用性の回復− ‥‥‥‥‥‥‥ 39

      第5 宮平秀幸証言(控訴理由書p119「第4」)の信用性 ‥‥‥‥‥‥‥ 40
       1 被控訴人らの主張  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 40
       2 貞子証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 40 
       3 ビデオ証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 41 
       4 一九四五証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 42
       5 春子証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 42
       6 初枝証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 43 
       7 晴美陳述書(2)について  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 44 
       8 まとめ  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 45  


      第1 「真実相当性」に関する再反論

      1 口頭弁論終結時における真実性と真実相当性の判断が異なることの問題点


      ⑴ はじめに


        被控訴人らは、その控訴審準備書面(1)において、「原判決の真実相当性に関する判断は単に真実性の立証要件を緩和したものに過ぎないと言え、これを違法性阻却事由ではなく故意又は過失の阻却事由とした最高裁判例の立場に違背する」との控訴人ら主張を、「趣旨が不明」とする(p2、3)。また、被控訴人らは、その控訴審準備書面(3)においても、「同一の証拠によって、真実性自体を高度の蓋然性をもって証明できない場合であっても、それが優越的蓋然性の程度に達して真実相当性の立証ありとされることは当然のことである」と主張し(p5)、真実相当性に関する判断は真実性の立証要件を緩和してなされるのは正当であるとの見解を明確にしている。
      被控訴人らは、伊藤眞教授の見解を引用するが、かかる見解がありうることは控訴人らも否定するものではない。ただ、それは最高裁判例の立場には違背するのである。控訴人ら主張の趣旨が被控訴人らには十分理解されていないものと思われるので、この点について、以下、改めて詳述する。


      ⑵ 原判決の判断とそれに端を発する疑問  


       原判決は、両隊長の自決命令につき、真実性の立証はないとしながら、真実相当性については合理的な資料若しくは根拠があるとしてこれを認定した。原判決は、真実性及び真実相当性双方について判断し、異なる結論を導いたのであるが、それらの判断にあたっては、その法的性質と判断基準時についてまず正確に理解しておく必要があろう。 
       最高裁判例によれば、真実性の立証とは、摘示された事実が客観的事実に合致していたことの立証であり、名誉毀損表現の違法性阻却事由とされているが、真実相当性は、行為者の故意又は過失を阻却する責任阻却事由であり、行為者の認識内容が問題となるとされている。従って、真実性の判断基準時は口頭弁論終結時であるが、真実相当性の判断基準時は名誉毀損行為時であるということになる(最高裁平成14年1月29日判決。甲C14)。 
        ところで本件原判決は、真実性については口頭弁論終結時でも立証はなされなかったとしながら、真実相当性については口頭弁論終結時に立証はあったとしている。上記最高裁判例の真実相当性の判断基準時に関する規範との関係が問題となる。
        その点、原審裁判所は、今回の請求においては「『沖縄ノート』の出版は継続されていて、口頭弁論終結時までずっと名誉毀損行為を続けている」というのが原告ら(控訴人ら)の主張なのだから、いわば、(最終の)名誉毀損行為の時期が口頭弁論終結時と一致しただけであり、最高裁判例の規範に矛盾しないと考えるのであろうが、そこでは、真実相当性が真実性の証明の緩和であるということが前提となっている。  
      原判決の結論が前提としている立場(真実相当性を真実性の証明の緩和であると捉えること)に対しては、次のような疑問が生じてくる。
       即ち、「名誉毀損の事実摘示を含む書籍等の出版につき、真実性の立証ができない事実についても、真実相当性が認められるという理由をもって、名誉毀損の不法行為の成立は否定され続けてよいのだろうか」ということである。特に、当初の事実摘示(あるいは、ある事実を前提とした論評)から、かなりの時間的経過があり、その事実に関する資料、情報も十分に公表された以降の段階で、事実の真実性が立証できない場合にも、真実相当性を認め、名誉毀損の事実摘示(出版)を継続する名誉毀損者側の新たな出版行為を救済するというのが果たして正当なのであろうか。そこでは、真実相当性は、真実性の証明を単に緩めるだけのものとなり、名誉の保護を著しく後退させることとなる。何より、「真実性」は名誉毀損の不法行為の成否の要件としては全く機能しなくなり、そもそも不要ではないのか。
       一つ、ロス疑惑事件を例にとって考えてみたい。


        例えば、三浦和義が妻に対する殺人の容疑で逮捕され起訴されて、下級審で有罪判決を受けるなどした段階で、仮にある出版社が、下級審判決を主要な根拠として三浦が妻を殺害したと判断し『妻を殺した三浦の心の闇』というハードカバー本を出版して販売した後、上告審において三浦が無罪となった場合を想定してみよう。三浦の無罪判決が確定した時点において、ハードカバー本の名誉毀損性が問題とされたとする。その場合、真実性の立証はないが、出版時点における真実相当性は肯定され、名誉毀損の不法行為の成立は否定されるものと一応考えられる(類似のケースとして、最高裁平成11年10月26日判決〈甲C15〉ご参照)。 
      しかし、三浦の無罪が確定して以降も『妻を殺した三浦の心の闇』の出版が続けられたとしたらどうだろうか。民事訴訟においても名誉毀損の不法行為が成立するであろう(もちろん刑事訴訟の結果が民事訴訟における判断を拘束するものではないが、ここでは、刑事訴訟と民事訴訟とで「真実性」の判断については一致する場合だとして議論している)。この点については、佐伯仁志及び道垣内弘人もその対談集『刑法と民法の対話』(甲C16)p303において同趣旨を述べている。 
      刑事訴訟の判決が下級審と最高裁で有罪から無罪に変更されるくらいであるから、三浦による妻殺害が真実か否かは極めて微妙であり、下級審が無罪の推定を乗り越えて有罪にする程度の「真実らしさ」すなわち「真実と誤信してもやむを得ないような微妙さ」は、常にあるはずである。それは最高裁判決が出ても、実態として変わらない。真実相当性を単なる真実性の立証の緩和として捉え、真実性の証明がないという判断と両立しうるものだとすると、最高裁での無罪判決以降も、三浦による妻殺害を叙述する出版が真実相当性で救われうることになりはしないか。最高裁での無罪判決以降も、三浦による妻殺害を事実として断定的に叙述する出版行為が、真実相当性で救われうるという結論は名誉の保護を余りにも後退させることにならないか(なお、意見論評としての叙述はこの限りではない)。
        そのような検討を経ると、真実相当性を単なる真実性の立証の緩和と捉え、口頭弁論終結時において真実性の立証のできない名誉毀損の事実摘示につき、口頭弁論終結時における真実相当性を理由に救済しうるという原判決の立場が、真実性の立証を違法性阻却事由として位置づけ、真実相当性を故意又は過失を否定する責任阻却事由として限定的なものに止めている最高裁判例の立場に背走するものであることが一層明らかに見えてくるのである。


      ⑶ 原判決の真実相当性に関する判断の誤り


      ア 控訴理由書でも述べたが、原判決の誤りは、両隊長の自決命令につき、真実性の立証はないとしながら、判断基準時も、従って根拠資料も全く同一であるにもかかわらず、真実と考えるに足る合理的な資料若しくは根拠があるとして安易に相当性を認めたこと、即ち真実相当性の存否について真実性の存否と結論を違えたことにある。
       そもそも、名誉等の人格権を保護するため、真実相当性の認定には厳格性が求められ、客観的で確実な資料に依拠しなければならない。「ある者が犯罪を犯したとの嫌疑につき、これが新聞等により繰り返し報道されていたため社会的に広く知れ渡っていたとしても、このことから、ただちに、右嫌疑に係る犯罪の事実が実際に存在したと公表した者において、右事実を真実であると信ずるにつき相当な理由があったということはできない」(最高裁平成9年9月9日判決。甲C13)し、定評ある通信社から配信された記事をスポーツ新聞社が掲載した事案についても、相当な理由がないとされている(最高裁平成14年1月29日判決。甲C14)。
        真実相当性が認められるハードルは非常に高いのである。 この点については、この平成14年判決の最高裁判例解説(甲C14)においては、下記のような解説がなされている(p122以下)。
      「上記昭和41年一小判決後の相当の理由に関する最高裁の判例には、最一小判昭和47年11月16日民集26巻9号1633頁、最二小判昭和49年3月29日裁判集民事111号493頁、最一小判昭和55年10月30日裁判集民事131号89頁(判例時報986号41頁)などがある。これらは、いずれも、犯罪報道に関して相当の理由を否定し、不法行為の成立を認めたものである」(p122)
      「これらの判例では相当の理由の有無の判断についてかなり厳格な姿勢がとられていることがうかがわれる」(p123)
      「昭和47年一小判決、昭和55年一小判決によって、最高裁の厳格な判断姿勢が示されたことにより、下級審の裁判例では、詳細な裏付け取材を要求するという方向が定着している」(p123)


      イ 真実相当性の法理は、行為時において名誉毀損者側が調査可能な資料に照らし真実性の証明に足りると評価できる場合であっても、後日、発見された証拠資料等によって真実性が失われる場合のあることに鑑み、これを故意又は過失を阻却することで救済し、正当な表現の自由を保障しようとしたものである。真実性の根拠となる証拠資料が、時間の推移によって変わりうることに配慮したものであるということができる。
      名誉毀損行為が口頭弁論終結時まで継続している本件では、真実性の判断基準時も真実相当性の判断基準時も口頭弁論終結時となり、従って根拠資料も同一であることになる(本件訴訟において提出された全ての証拠がそれである)。根拠資料が全く同一ということであれば、客観的な真実性と主観的な真実相当性の判断は原則として異ならないはずである。 
       更に噛み砕いての論述を試みよう。
        真実性と真実相当性の判断要素の違いは、事後的に真実であったかどうかという客観的判断と、名誉毀損行為時に真実と信じることができたかという主観的判断の違いであるとされる。
        そういう違いが、結局のところ、具体的現実場面でどういう判断枠組の違いに反映されるかというと、「真実と判断するため基礎資料の範囲の相違」というところに帰着するのであり、更に訴訟という場面に即して述べると、真実性を判断する基礎とし得る裁判上の証拠と、真実相当性の判断の基礎とし得る裁判上の証拠の範囲に、違いが生じるということである。
       一方で、真実性と真実相当性の判断要素のうち、「真実」を判断する主観的基準には差がないものと想定されていることには、留意されねばならない。すなわち、真実性も真実相当性も、「個性を捨象した通常一般人が社会通念にしたがって判断する」というのが判断基準であって、特異な感性を有する行為者当人が「一般人は真実と信じられないだろうが、自分だけは真実と信じることができた。だから真実相当性はある」などという論理が通るものではない。
        また、真実相当性の判断の基礎となる資料、根拠についても、行為者が現実に調査、収集した結果にとらわれず、「行為当時、一般的に調査、収集が可能であった資料、根拠」を想定し、「それらによれば、軽々しく真実と誤信することは許されない」などという形で判断がされるというのも確立した判例である(杜撰な調査しかしなかった行為者が「現実に自分が判断の基礎資料としたのはこの範囲だけだ。これらの限定的な資料だけに基づいて判断したら、真実と信じてもやむを得ないはずだ」などと主張しても一顧だにされないであろう)。これは、真実性が、「現時点(口頭弁論終結時)において、一般的に調査、収集が可能である資料、根拠」に基づいて判断されるのと、「一般的な調査、収集の可能性」が問題にされる点で、同一である。
        くどくなったが、要するに、真実性と真実相当性の判断にあたっては、基準時が異なるため基礎とされる資料の範囲は異なるものの、判断基準自体は同一なのである。 
        「真実性は客観的判断」とはいっても、裁判においても人間が神の視点をもって絶対的真実を認定することは不可能なのであるから、真実性についても、基礎資料の範囲を確定し、通常一般人の判断基準を設定したうえで、「真実と評価できるかどうか」という主観的判断を(判決においては裁判所が)せざるを得ないという点では、真実相当性の判断と同様である。 そのような検討を経ると、結局、最高裁判例が定立した真実相当性の実質は、「名誉毀損行為がなされた時点において行為者に入手可能な資料と情報を基礎として判断された真実性」、簡潔に言えば、「名誉毀損行為時における真実性の証明」と考えられるのである。  
      前記アのように、真実相当性が認められるハードルが非常に高くなるのである。

            
        ウ そうした検討を踏まえて、原判決の判断について考えてみる。
      前記のとおり、本件での真実性の判断は、口頭弁論終結時までの全資料を基礎としてなされる。
       一方、真実相当性はどうか。その判断基準時は名誉毀損行為時であるが、本件では、最終の名誉毀損行為の時期である口頭弁論終結時までにあらわれた全資料が基礎となり、本件では、真実性判断の基礎資料と、真実相当性判断の基礎資料が、完全に一致するのである。具体的に言えば、当事者が裁判に提出しない証拠は判決の事実認定の基礎とできないという弁論主義の原則とも相まって、「本件訴訟で提出された全証拠」という形で、真実性判断と真実相当性判断の基礎資料が統一される結果となるのである。
       判断の基礎となる資料が同一であり、前記のとおり、「真実」を判断する基準も違わない以上、真実性判断と真実相当性判断の結論が異なるというのは、ありえないはずである。
        ところが、原判決は、真実性は認められないとしつつ、一方で真実相当性は認めることができると結論づけるという本質的な過ちを犯しているのである。


      エ 法律家の論述や下級審裁判例の一部には、原判決同様、最高裁判例の明示している真実性と真実相当性の法的性質の違いを正確に把握することなく漫然と(あるいは、最高裁判例の考え方とはあえて違う見解を採った上で)、「真実性は厳しい判断基準で、真実相当性はそれを緩めた判断基準である」との考えを示している例がある。そのような見解は、真実性だけでなく、真実相当性も違法性阻却事由に位置づけ、その両者の違いを「立証の程度の違い」と考えるところに由来するのであろう(被控訴人らが援用している伊藤眞教授の見解は、正しく真実相当性を優越的蓋然性の証明だと主張するものである)。 
           しかし、最高裁判例の一貫した考え方に則った場合、そのように真実相当性を真実性の立証の緩和として考える見解は、前記イで述べたとおり、理論的におかしいのである。
           かような分析を理解するうえで参考になるのは団藤重光の分析である。団藤は、真実性の証明の法的性質について違法性阻却説または構成要件該当性阻却説をとる場合に「何を違法性ないし構成要件該当性の阻却原由とみるべきか」という課題に関し「事実が証明の可能な程度に真実であったことを阻却原由とみるべき」とし、「故意論にこの見解を適用すると、行為者が、証明可能な程度の資料・根拠をもって事実を真実と誤信したときは、―たとい事実の証明がなくても―故意を欠くものとして罪とならない。」(甲C17 p524)とする。
       即ち、団藤によれば、真実性相当性の要件を満たすには、資料、根拠については、「真実性を証明できる程度のものが行為当時にあったかどうか」という判断になる。最高裁判例の立場に即した場合、真実相当性について、「真実性の立証の程度を緩めた概念」としてとらえることが誤りであることは、この団藤の分析を参考にしたとき、一層明らかになる。


      2 「隊長の関与」に基づく「公正な論評」であるとの主張について 


      ⑴ はじめに
       被控訴人らは、その控訴審答弁書において、控訴人梅澤に対する名誉毀損に関し、「『本件記述⑵』は、慶良間列島の集団自決について、『この事件の責任者』に言及しているが、慶良間列島の集団自決に日本軍が深くかかわり、守備隊長の関与が十分推認されることは原判決が認定しているとおりであり、これについて『この事件の責任者』の責任に言及することは、真実に基づく公正な論評に該当する」と主張する。即ち、「守備隊長の関与」を基礎として「『この事件の責任者』の責任に言及する」ことは、「公正な論評」だと言うのである。 
        以下、この主張に対して反論を加える。


      ⑵ 事実摘示と意見論評の混同
       まず、かかる主張については、『沖縄ノート』が「『この事件の責任者』の責任に言及」している部分は単なる「論評」とは評価できず、控訴人梅澤の出した隊長命令の「事実摘示」を含むものであるとの反論が可能である。
        改めて「本件記述⑵」(原判決の表示)を引用すると下記のとおりである。
      「慶良間列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自  決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き  延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を  迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげな  いために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》と  いう命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれ  る本土の日本人の生、という命題は、この血なまぐさい座間味村、   渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略  体制のもとの今日に、そのままつらなり生き続けているのである。生  き延びて本土にかえりわれわれの間に埋没している、この事件の責任  者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個  人の行動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復  しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜ  おれひとりが自分を咎めねばならないのかね? と開きなおれば、たち  まちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまう  だろう。」(甲A3p69〜)
      この記述が意見論評なのか、事実摘示なのかを判断するにあたっては、最高裁判決が両者の区別のために定立した以下の基準に依るべきである。 即ち、最高裁平成9年9月9日判決(甲C6)は、特定の表現が事実の摘示を含むものであるか否かについて、「一般の読者の普通の注意と読み方を基準に、前後の文脈や記事の公表当時に読者が有していた知識ないし経験等を考慮し、右部分が、修辞上の誇張ないし強調を行なうか、比喩的表現方法を用いるか、又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ、間接的ないし婉曲に前記事項を主張するものと理解されるならば、同部分は、事実を摘示するものと見るのが相当である。また、右のような間接的な言及は欠けるにせよ、当該部分の前後の文脈の事情を総合的に考慮すると、当該部分の叙述の前提として前記事項を黙示的に主張するものと理解されるならば、同部分は、やはり、事実を摘示するものと見るのが相当である」としている。
      本件記述⑵を見ると、要するに、「慶良間列島においておこなわれた、700人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』によれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《自決せよ》という命令に発するとされている」旨が述べられており、これは、その後の「この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場」という表現とも相まって、座間味村の日本軍の住民に対する自決命令が叙述されていることは明白である。確かに「上地一史著『沖縄戦史』によれば」という「第三者からの伝聞内容の紹介」の形式が採用されているが、それが事実摘示と評価する際の障害にはならないことは前記最高裁判例の判示するところである。 
      加えて更に、本件記述⑵の「この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」、「この個人」、「かれ」、「おれひとりが自分を」との表現にも鑑みれば、本件記述⑵は、全体として、座間味村集団自決について、命令を出した控訴人梅澤「個人」を「責任者」として糾弾する趣旨を含む叙述となっているといえる。そのことも考え合わせると、その前の部分の「慶良間列島においておこなわれた〜という命令に発するとされている。」との一文は、控訴人梅澤が自決命令を発したという《梅澤命令説》を間接的ないし婉曲に、あるいは黙示的に主張するものと理解されるのであり(少なくとも、一般の読者の多くが、控訴人梅澤「個人」が「責任者」として糾弾されている責任の前提となる事実として《梅澤命令説》を読み取ることは否定できないところである)、最高裁判例の基準によれば、当該部分は、明らかに《梅澤命令説》の「事実の摘示」を含むものである。 
      確かに「梅澤」という固有名詞の使用や「隊長の命令」という直接表現はされていないものの、「一般の読者の普通の注意と読み方を基準に、前後の文脈や記事の公表当時に読者が有していた知識ないし経験等を考慮」した場合、『沖縄ノート』発表当時、座間味村の集団自決事件について《梅澤命令説》が定説とされていたことは「一般の読者の知識」の範疇であったといえるし、本件記述⑵が引いている上地一史著『沖縄戦史』には《梅澤命令説》も明確に記載されているという文脈からして、本件記述⑵が《梅澤命令説》の事実摘示を含むものであることは動かせない(原審原告最終準備書面その1 p13〜17ご参照)。
      被控訴人らは、慶良間列島の集団自決は「日本軍―沖縄の第32軍―慶良間列島の守備隊というタテの構造の強制力」によってもたらされたもので、「日本軍の命令」によるものではあるが、あえて隊長の命令と書いていないし、また、叙述の趣旨は自己批判であって集団自決の責任者個人を非難しているものでもない旨弁解する(被控訴人ら答弁書p3、4)。
      しかし、一般の読者の普通の注意と読み方を基準にしたときに、「日本軍―沖縄の第32軍―慶良間列島の守備隊」、「タテの構造」、「強制力」といった文言での説明も記述中にない以上、本件記述⑵から「タテの構造の強制力」という主旨を読み取ることはとてもできない。
      また、当該記述が、本土の日本人の批判ないし自己批判の主旨を含む(あるいは結論とする)表現であるとしても、それを理由に、記述中の「個人に対する名誉毀損の事実摘示」部分の名誉毀損性が失われるものではない。
      例えば、もしある作家が「保険金目的で妻を殺したと報道されているロス疑惑の主人公」についてその内面を想像で醜く描いたうえで、「そういう邪悪さと同じものを、戦後の日本人みなが持っているのだ」と論評した場合、その作家の言いたいことの核心がその論評部分であったとしても、その前に述べた「保険金目的」云々の表現の名誉毀損性が否定されるものではないことは論を待たない。
      結論として、本件記述⑵が《梅澤命令説》の事実摘示を含まない公正な論評であるとする被控訴人ら主張は失当であること、明らかである。


      3 「軍の関与」と同一性のない「隊長命令」の事実摘示は許されない


      ⑴ はじめに  


        控訴人らは、「軍の関与」の認定とそこから推認した「隊長の関与」を基礎として「隊長命令」を摘示することに相当性は認められないと主張している。
      これに対し被控訴人らは、原判決は、「隊長命令」の事実の記述の合理的資料若しくは根拠は、かかる「軍の関与」と「隊長の関与」だけではなくそのほかにもあると反論するが(被控訴人準備書面(1)p3、4)、「軍の関与」及び「隊長の関与」が「隊長命令」の事実の真実相当性の主要な理由であること自体は、否定していない。  
      しかし、「軍の関与」及びそこから推認した「隊長の関与」を「隊長命令」の真実相当性の理由とすることは失当である。この問題点については、最高裁平成11年10月26日判決の判示を正しく理解することが極めて重要である。


      ⑵ 最高裁平成11年判決の理解 


       控訴理由書p11以下でも述べたが、最高裁平成11年10月26日判決は、「刑事第一審の判決において罪となるべき事実として示された犯罪事実、量刑の理由として示された量刑に関する事実その他判決理由中において認定された事実について、行為者が右判決を資料として右認定事実と同一性のある事実を真実と信じて摘示した場合には、右判決の認定に疑いを入れるべき特段の事情がない限り、後に控訴審においてこれと異なる認定判断がなされたとしても、摘示した事実を真実と信ずるについて相当の理由があるというべきである。けだし、刑事判決の理由中に認定された事実は、刑事裁判における慎重な手続きに基づき、裁判官が証拠によって心証を得た事実であるから、行為者が右事実には確実な資料、根拠があるものと受け止め、摘示した事実を真実と信じたとしても無理からぬものがあるといえるからである」とし、控訴された刑事判決は、これをもって真実性の証明ありとは言えないが、真実相当性の根拠とすることはできるとしている。この判決からは、真実相当性の根拠や資料には、かくも厳しい確実性ないし信頼性が要求されるのであり、刑事訴訟の判決において真実と認定された事実と同一性のない事実については、当該判決を真実相当性の根拠とすることができないことも導かれる(甲C15 p661)。
       この控訴人ら主張に対しては、被控訴人らは、この判決は、「『真実と認定された事実と同一性のない事実については、真実相当性の根拠とすることができない』などとは全く述べていない」と反論する(被控訴人準備書面(3)p6)。
        かかる被控訴人らの反論には無理がある。「刑事訴訟の判決において真実と認定された事実については、当該判決を真実相当性の根拠とすることができる」との旨の判示は、「刑事訴訟の判決において真実と認定された事実以外の事実については、当該判決を真実相当性の根拠とすることができない」との趣旨を含意するものと読むのが当然であって、それ以外の解釈はありえない。
        同判決に関する最高裁判例解説も、(真実相当性をもって)「免責されるのは認定事実と同一性のある事実を摘示した場合であり、認定事実の範囲を超えた事実を織り交ぜて記載した場合には、真実と信じるにつき相当の理由があるとはいえない」(甲C15 p661)と明言している。


      ⑶ 最高裁平成11年判決の射程 ―軍の関与をもって軍命記述は許されない―


       前記最高裁平成11年判決の考え方を本件に引いた場合、教科書検定においても容認されている「軍の関与」という事実と同一性のない「隊長の命令」という事実を記載した場合には、真実相当性は認められないという結論に至る。
        本件の名誉毀損事件は犯罪報道が問題となったものではないから、前記判決にいう「刑事判決」や「捜査当局」や「捜査担当者」が存在するわけではないが、本件では、「集団自決」に関する教科書検定に際して文科省が示した見解が、教科用図書検定調査審議会という国家の専門機関において、多くの専門家の意見を聴取し、慎重に調査、検討をした結果示された認定という意味で、刑事事件における「刑事判決」ないし「捜査当局の公式発表」と同等ないしそれ以上の確実性と信頼性を有していると考えられる。
      その観点からすると、本件では、集団自決についての教科書検定において文部科学省の示した判断が真実相当性の認定に大きく影響すると考えられるところであるが、控訴人らがこれまで縷々指摘しているとおり、文科省は、集団自決に関する「軍の関与」の記述は認めるものの、これを超えて「隊長命令」あるいは「軍命令」の記述を認めていないのであり、「軍の関与」が認められていることをもって、それと同一性を有していない「軍命令」あるいは「隊長命令」の事実については、文科省の判断を真実相当性の根拠とすることができないとの結論が導かれるのである。


      ⑷ 「軍の関与」から隊長命令を合理的に推論し「推論として」記述すること


       被控訴人らは、その控訴審準備書面(1)において「控訴人は、『軍の関与』を基礎事実として隊長命令を推論する意見論評における推論には合理性があるとしており、同主張は、隊長命令について真実であると信じるについて相当の理由があるとした原判決の正当性を裏づけるものというべきである」(p4)と主張する。
      しかし、この主張からは、被控訴人らが控訴人らの主張の意図を正解せず、「推論としての意見論評」と「推論に基づく事実摘示」を、そして、「推論の合理性」と「真実相当性」を混同していることがうかがえる。
       控訴人らは、被控訴人らの一つの見解として軍の関与から隊長命令を推論することや、かかる「意見論評」に一定の合理性(但し、ここでいう「合理性」は「意見としてありうる」程度の意味である)があることは、別に否定も問題視もしてしない。
        問題は、かかる「推論に基づく意見論評の内容」が、『沖縄ノート』と『太平洋戦争』においては、「推論に基づく意見論評」として記述されておらず、「確定的な事実摘示」として記述されていることにある。
        事実摘示なのか意見論評なのかの区別については、前記「2」において詳論したところであり、本件各記述が「隊長命令」を事実として摘示したものであることは、結論が出ていると言ってよいであろう(この点は原判決も認めているとおりである)。
        「公正な論評」の法理を巡っては、前提事実から導かれた意見論評に関し、前提事実と意見論評との間に合理的関連性が必要かという論点はある(因みに、最判平成16年7月15日判決・民集58-5-1615は、意見論評については、その内容の正当性や合理性を特に問う必要はない旨判示している)。その論点についての立場はさておき、本件では、意見論評として述べられる限り、「軍の関与」という前提事実と、「隊長命令」という意見論評の間に合理的関連性がないわけではないということを、前記のくだりで控訴人らは主張する一方、かような合理性(合理的関連性)は、本件で焦点となっている真実相当性とは全く別の問題であって、原判決及び被控訴人らは、両者を実質的に混同しているというのが、控訴人らが主張するところである。 


      ⑸ 原判決及び被控訴人らのいう「真実相当性」の正体


        原判決は「軍命令は立証されていない」と言いつつ、立証できた「軍の関与」を根拠にして「隊長命令」を書いても「真実相当性」ありとして適法としているが、それは結局、「軍の関与」から「隊長命令」という事実を推論しても相当というものにほかならない(厳密に言えば、原判決は「軍の関与」から、いったん「隊長の関与」を推認し、更に、その「隊長の関与」から「隊長による自決命令」を推論するという、2段階の強引な推認ないし推論をなしている。控訴審においては、そのような原判決の「判断の飛躍」に十分留意した、事案の再検討や法的評価が加えられねばならない)。しかし、かような考え方は前記の混同があり、失当極まりない。 
      原審裁判所の行き着いた厳然たる結論として、「軍の関与」までしか「立証」は届いていないのである。それは原判決がはっきりと認めているところである。
        とすれば、「軍命令」は、どう見ても「推論」の領域である。その「推論」を事実として断定した表現で叙述することを相当、適法とする原審の判断は実質的に、「そういう推論をしても構わないではないか」という考えといえる。即ち、「真実相当性」という概念を論理のワンクッションとして誤用して真実性を緩和し、「推論は、合理的で、相当だ。だから許される」と強弁しているというのが、原判決の正体なのではないか。 
      控訴人らが、原判決は、意見論評としての「推論の合理性」をもって、事実摘示の免責に必要な「真実相当性」、即ち、行為時における立証可能な程度の真実性と混同していると断言する所以である。

       

      2008年10月2日 07時00分 

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      控訴人準備書面(1) 第2、第3

      控訴人準備書面(1) 第2、第3

      第2 事後的な出版差止め要件に関する再反論  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 20
       1 被控訴人の主張  ‥‥‥‥‥‥ 20 
      2 原判決が示した基準の誤り(控訴理由書の補充)  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 20 
       3 「真実相当性」は差止めの要件とはなりえない  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 23

      第3 平成18年度教科書検定は「改め」られたか ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 25 
       1 はじめに ‥‥‥‥‥ 25
       2 東京書籍「日本史A 現代からの歴史」 ‥‥‥‥‥‥‥ 26
       3 実教出版「高校日本史B 新訂版」 ‥‥‥‥‥‥‥ 28
      4 新聞各紙は最終の検定結果をどう報じたか  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 29
       5 一貫している教科書検定の考え方と被控訴人らの誤導 ‥‥‥‥‥‥‥ 31 


      2 原判決が示した基準の誤り(控訴理由書の補充) 

      ⑴ 原判決が本件各書籍の出版差止に関して定立した基準、即ち、「本件各書籍の出版の差止め等は、その表現内容が真実でないか又はもっぱら公益を図る目的のものではないことが明白であって、かつ、被害者が重大な損害を被っているときに認められる」は、北方ジャーナル事件最高裁判決において原則的に許されない事前差止が例外的に認められる場合の基準として定立されたものを基にして策定されたものであるが、同判決が示した基準は、事前差止に伴う弊害等が何ら存しない事後的な出版差止である本件では妥当しない(下記甲C20・東京地裁平成14年4月11日判決同旨)。北方ジャーナル事件最高裁判決の射程が事前差止に限定されることは、その判示上から明らかである。
      また、同判決が人格権としての名誉権に基づく実体的差止請求権の存否について判示しているところから明らかなように、名誉権が違法に侵害されていれば事後的差止を認めるに十分であり、「その表現内容が真実でないことが明白である」ことを求める理由がないことは控訴理由書第2−2(p12〜)で論じたとおりである。
      この点、被控訴人らは、
        「差止請求は事後的制裁ではなく、将来にわたり出版を禁止し、公共的事項に関する事実や評価が人々に伝わることを妨げるという点においては、出版開始前の差止請求と同様、民主主義社会の基礎を崩壊させる危険のある事前抑制」である(被控訴人準備書面(3)p6)
      として、本件は「事前抑制」の事案とするが、既に相当部数が読者の目に触れている本件において、そもそも「事前抑制」とするのは到底無理であり、原判決も「事後」差止の事案と認めている。


      ⑵ 「石に泳ぐ魚」事件最高裁判決


          控訴人らの上記主張の正しさは、「石に泳ぐ魚」事件高裁判決(東京高裁   
      平成13年2月15日判決、判時1741−68、甲C2の2)の「侵害行為が明らかに予想され、その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり、かつ、その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難であると認められるときは、差止めを求めることができるものと解するのが相当である」との判示を肯定した同事件最高裁判決(平成14年9月24日第三小法廷判決、民集207号p243、甲C2の3)において確認されている。
      最高裁は、事後的な出版差止につき「真実でないことの明白性」を要件としていないことは明らかである。
       この「石に泳ぐ魚」事件の基準が、事後的な出版差止にかかる最高裁判例として妥当しているのであり、原審が定立した前記基準は、これに反するものである。


      ⑶ 下級審判決 


      事後的な出版差止については、「石に泳ぐ魚」事件東京高裁判決の前記基準が最高裁判例として妥当しており、「真実でないことの明白性」が要件とされていないことは、事後的な出版差止の可否が争点となった下記の下級審判決においても確認することができる。


      ア 東京地裁平成19年1月23日判決(判時1982−115)(甲C19)
      同判決は、原告の放火等刑事事件について記載した書籍の増刷分につき、事後的な出版差止を認めたものであるが、人格権としての名誉権に基づき、加害者に対する差止請求権が発生することを認めた上で、その要件につき、次のように判示している。
      「前示のとおり、本件書籍中の本件放火等事件記述部分は、原告の名誉を毀損する事実を摘示するものであり、今後も本件書籍が増刷及び販売され続ければ、将来にわたり原告の名誉は毀損され続けることになるため、これを差し止める必要性は高い。他方、前記認定のとおり、本件書籍は、平成14年11月1日以降約10万部発行されており、既に相当部分が販売されたものと考えられることからすれば、将来の増刷及び販売を差し止めることによる被告新潮社の表現行為に対する制約は全体として限定的であり、これにより被告新潮社が被る財産的影響もさほど大きくないものというべきである」
      尚、同判決は控訴審である東京高裁で取り消されているが、地裁判決で用いられた利益衡量基準自体は踏襲されている(甲C21)。


      イ 東京地裁平成19年4月11日判決(判時1993‐24)(甲C20)
      書籍の事後的な差止の可否が争点となった事案の判決であり、「その要件は事前差止めに比して緩やかなものと解するのが相当」とし、「石に泳ぐ魚」事件最高裁判決及び同高裁判決を引用して判断基準(利益衡量基準)を下記のとおり定立している。利益衡量の結果として差止を認めなかったものであるが、その認めなかった理由として、増刷の予定がないこと、単行本化される際に名誉毀損表現を避ける書き直しがされることなどが挙げられている。
      「どのような場合に侵害行為の差止めが認められるかは、侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ、侵害行為によって受ける被害者側の不利益と表現行為の有する価値とを比較衡量して決すべきである。本件のように、雑誌への掲載及び単行本の出版という出版行為が既に行われている場合には、表現物が読者側に到達し、評価批判を受ける機会は与えられたものというべきであるから、その要件は事前差止めに比して緩やかなものと解するのが相当である。しかし、事後的であっても、出版等の差止めが表現行為に対する重大な制約となり得るのであるから、既に出版等行為がされた場合であれば常に名誉毀損行為を差止めることができるとするのは相当でなく、特に、侵害行為が明らかに予想され、その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり、かつ、その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難であると認められるときは、差止めを求めることができるものと解するのが相当である(最高裁判所平成14年9月24日第三小法廷判決・裁判集民事第207号243頁、東京高等裁判所平成13年2月15日判決・判例時報第1741号68頁参照)」。


      3 「真実相当性」は差止の要件とはなりえない  


      そもそも「真実相当性」が差止の要件とはなりえないことは、控訴理由書p16以下で詳細に述べたが、特に「真実相当性」が故意又は過失の責任阻却事由であることと、「名誉を違法に侵害」された場合に差止を認めるという最高裁の態度との法的整合性は、重要である。 
      この点、被控訴人らは、「真実相当性」が真実性の証明度が軽減された場合の要件として認められるのであるから、原判決は、その理論的位置付けに何ら違背していないとするが(控訴審準備書面(3)p5)、「真実相当性」が真実性の証明度軽減の問題でないことは、平成14年1月29日最高裁判決が示した基準時論(「真実性」は口頭弁論終結時、「真実相当性」は行為時を資料の基準とする)の明確な判示により既に終わった議論である(「刑法と民法の対話」甲C16の対談ご参照。控訴理由書p9)。
      基準時が真実性と真実相当性とで異なる以上、真実相当性において証明度軽減をする理由は何らなく、既に両者の法的位置付けは実体法上の面からはっきりしているのである。
      被控訴人らは、控訴審準備書面(3)において伊藤眞教授の説を引用して説明しているが、伊藤眞教授は、「通説・判例とは異なる『優越的蓋然性(証拠の優越)をもって民事訴訟における証明度とすべきである』」(「民事訴訟における証明度」座談会、判タ1086−4、甲C22・1枚目の中段縦書部分)とする優越的蓋然性説の論者であり、判タ1086−4は、この説を中心として座談会がされている。この説に対しては、通説・判例からの批判が多い。  
      加藤新太郎研修所教官は、同説に対して「相当程度の蓋然性はあるけれども、高度の蓋然性がないという事実に関する争点は、裁判官としては認定できないとして棄却するように思います。」「事実については、通説・判例の立場をとる以上そうならざるを得ません。」(同p26)、須藤典明判事は、「医療事故訴訟における因果関係の証明度についての最高裁判例(最二小平成12年9月2日判決民集54‐7‐2574)がやっているように、実体法の部分をいじるとかして救済すべき」(同p26)として、通説・判例の立場から極めて強烈な批判がされている。通説・判例の立場とは全く異なる説を基に証明度の軽減を言うことしかできない被控訴人らの主張が如何に苦しいものか分かる。
      更に、同座談会では、名誉毀損における議論の中で、上記平成14年1月29日最高裁判決を前提にした議論をしておらず(同p19〜)、相当性が証明度を緩和するものと誤解して議論をしている感があるも、山本和彦教授は、「名誉毀損の問題でありますとか、やはり証明度を訴訟法の立場から変えるということは、実体法の従来のあり方にかなり大きな影響を及ぼす可能性がある問題であろうということで、今後は実体法研究者も含めて研究を要するという感じを受けました。」(同p30)として、「刑法と民法の対話」(甲C16)の対談につながる話しをしている。
      正に、最高裁は、平成14年1月29日判決により、実体法の観点から「真実相当性」の意味付けを解決したのであり、訴訟法上の証明度を問題にして「真実相当性」の証明度を緩和する議論は、最高裁の立場ではないのである。
      また、前述のように最高裁判例における「真実相当性」の内実は、「行為時における立証可能な程度の真実性の証明」であり、「過去」において真実だと信じるに足る相当な根拠に基づく名誉毀損行為の責任を免じるものであるという点からみても、現在ないし将来の名誉毀損行為を問題とする差止の場面において「真実相当性」が登場する余地はないのである。 

      第3 平成18年度検定は「改め」られたのか 

      1 はじめに 


       被控訴人らは、平成19年3月30日に発表された平成18年検定の判断(集団自決が軍の強制や命令によるものとする断定的な記載は認めない)は、その後教科書発行者らによりなされた教科書記述の訂正申請により「立場を改め」「最終結論では平成17年度検定の立場に戻った」と主張する(控訴審準備書面(1)p7、8)。
       その根拠の一つとして、被控訴人らは、訂正申請により最終的に承認された教科書記述が「日本軍によって『集団自決』においこまれたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」とされた例を挙げている。
        これは、東京書籍発行の「日本史A 現代からの歴史」の訂正後の記述である(甲B104別紙⑸ないし⑺、乙103)。
        被控訴人らは、もう一つの根拠として、訂正申請により最終的に承認された教科書記述が「日本軍は、住民に対して米軍への恐怖心をあおり、米軍の捕虜となることを許さないなどと指導したうえ、手榴弾を住民にくばるなどした。そのような強制的な状況のもとで、住民は集団自決と殺し合いに追いこまれた」とされた例も挙げる。
        これは、実教出版発行の「高校日本史B 新訂版」の訂正後の記述である(甲B104別紙⑾)。
        これらの教科書等についてなされた検定の経過において、真実、被控訴人らの主張するような文科省の検定判断についての「立場の揺り戻し」があったと言えるのであろうか。
        答えは否である。被控訴人らが「立場の揺り戻し」の根拠として挙げる前記両教科書について、その記述の変遷を子細に検討すると、むしろ、文科省の立場が一貫していることが明らかとなる。以下、詳述する。


      2 東京書籍「日本史A 現代からの歴史」


      沖縄集団自決に関する東京書籍「日本史A 現代からの歴史」の記載は、下記のように変遷した(本準備書面別紙「教科書検定時系列」ご参照)。
      ○ア 平成19年3月検定決定の教科書見本の記述(甲B104別紙⑹ご参照)
      「・・・犠牲者は−中略−15万人を超えた。そのなかには、『集団自決』においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった」
      ○イ 平成19年11月1日に申請され同年12月18日に取り下げられた訂正申請の記述(甲B104別紙⒁ご参照))
      「そのなかには、日本軍によって『集団自決』△砲いこまれたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」
      「《側注》
             △海譴髻惷制集団死』とよぶことがある。」
      ○ウ 承認された訂正申請の記述(甲B104別紙⑹ご参照)
      「そのなかには、日本軍によって『集団自決』△砲いこまれたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」
      「《側注》
            △海譴髻惷制集団死』とよぶことがある。
            E┐諒疥困砲覆襪茲蠅盪爐鯀ぶことを説く日本軍の方針が、一般の住民に対しても教育・指導されていた。」 
      ○アは平成19年3月末に検定(18年度検定)を通った記述であるが、集団自決について日本軍の命令・強制・関与についての言及はなかった。17年度検定までは、「日本軍の命令・強制」についても記述が許容されていたが、18年度検定ではその立場が転換され、「日本軍の命令・強制」については記述が認められなくなった(一定の「関与」しか認めない)結果、かかる記述となったものである。
        ○イにおいて東京書籍は、「日本軍が集団自決に住民を追いこんだ」とだけ記述しており、これは、「集団自決が起こった背景・要因について、過度に単純化した表現」(甲B104 p8基本的とらえ方)であるとして、訂正申請の取下げを事実上求められ、東京書籍はそれに応じたのである。
        最終的に承認された○ウのポイントは、加えられた側注の記述が、「『集団自決に追いこまれた』背景・要因として教育や感情の植え付けなどの当時の状況を説明しようとするものである」と評価されたためである(甲B104別紙⑺)。即ち、集団自決の要因が「直接的な軍の命令ないし強制」と解釈されない形の記述、つまり「日本軍の方針が住民にも教育されていた」というような主体の曖昧な「軍の関与」にとどまる記述に全体として修正されたから、検定に通ったのである。
       「日本軍の方針が一般住民にも教育・指導されていた」という形の主体の曖昧な「軍の関与」の記述は許容するが、「直接的な軍の命令ないし強制」と読める記述は許容しないという検定の考え方は明確で、平成19年3月発表の検定の立場(甲B104 p6)と一貫している。
        被控訴人らは、平成19年3月30日発表の平成18年検定の結果においては、「『日本軍の関与』を示す部分を削除するよう修正させた」としており(控訴審準備書面(1)p7下から7行目)、検定は「日本軍の関与」すら認めない立場であるかのように述べるが、これは事実に反する誤導である。教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会の報告書においても、平成19年3月30日発表の平成18年検定の意見の趣旨は、「教科書記述としては、軍の命令の有無について断定的な記述を避けるのが適当であると判断したもの」であり、「この検定意見は集団自決に関する軍の関与に言及した教科書記述を否定する趣旨ではない」と明言されている(甲B104 p6)。現実にも、後記のとおり、実教出版「高校日本史B 新訂版」においては、平成19年3月の検定決定において「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」という表現での「日本軍の関与」の記述が許容されていた。
        平成19年3月30日発表の平成18年検定の結果において修正が求められたのは、いずれも、「日本軍の関与」ではなく、「軍の命令の有無についての断定的な記述」がされているものであった(甲B104別紙⑴ないし⒆ご参照)。


      3 実教出版「高校日本史B 新訂版」


      沖縄集団自決に関する実教出版「高校日本史B 新訂版」の記載は、下記のように変遷した。
      ○ア 平成19年3月検定決定の教科書見本の記述(甲B104別紙⑾ご参照)
      「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」
      ○イ 平成19年11月1日に申請され同年12月19日に取り下げられた訂正申請の記述(甲B104別紙⒆ご参照))
      「日本軍は、住民に手榴弾をくばって集団自害と殺しあいを強制した」
      ○ウ 承認された訂正申請の記述(甲B104別紙⑾ご参照)
      「日本軍は、住民に対して米軍への恐怖心をあおり、米軍の捕虜となることを許さないなどと指導したうえ、手榴弾を住民にくばるなどした。このような強制的な状況のもとで、住民は、集団自決と殺し合いに追いこまれた」
      ○アは平成19年3月末に検定(18年度検定)を通った記述であるが、集団自決について日本軍の「手榴弾をくばった」という関与は述べているものの、命令・強制についての言及はなかった。17年度検定までは、「日本軍の命令・強制」についても記述が許容されていたが、18年度検定ではその立場が転換され、「日本軍の命令・強制」については記述が認められなくなった(一定の「関与」しか認めない)結果、かかる記述となったものである。
        ○イにおいて実教出版は、「日本軍は集団自害を強制した」と記述しており、これは「集団自決が起こった背景・要因について、過度に単純化した表現」(甲B104 p8基本的とらえ方)であるとして、取下げを事実上求められ、実教出版はそれに応じたのである。
        最終的に承認された○ウのポイントは、「『日本軍は、住民に対して…くばるなどした』という記述が、集団自決の背景・要因となった住民と軍とのかかわりについてのものであり、それに続く『そのような強制的な状況のもとで、住民は集団自決と殺し合いに追いこまれた』とする記述は、前段を受け、住民の側から見て心理的に強制的な状況のもとで、集団自決に追いこまれていったと読み取れるものである」と評価されたためである(甲B104別紙⑾最下部(補足説明)。下線部は控訴人ら代理人)。即ち、同教科書には、集団自決の背景・要因として、「軍の関与」があることは書かれているが、「直接的な軍の命令ないし強制があった」とまでは記述されずに(集団自決と殺し合いに追いこんだ主体は書かれていない)、あくまで「住民の受け止めとして強制的な状況があった」と読み取れる形の記述に修正されたから、検定に通ったのである
      日本軍の手榴弾が配られたという形の「軍の関与」の記述は許容するが、「直接的な軍の命令ないし強制」と読める記述は許容しないという検定の考え方は明確で、平成19年3月発表の検定の立場と一貫している。
      4 新聞各紙は最終の検定結果をどう報じたか


      ⑴ はじめに
        教科書記述の訂正申請についての最終の検定結果についての新聞各紙の報道状況については、控訴理由書p26以下で一部言及したが、以下で補足的に説明しておく。各紙の記事には、理解不足あるいは党派的立場から、文科省の考え方に「変化」「修正」「調整」があったかのように評価しているくだりも一部あるが(それらは誤った評価である)、被控訴人らが強弁するように文科省の立場が「改め」られたり、「平成17年度検定の立場に戻った」と評価するものは一つもない。 
      ⑵ 読売新聞(甲B117)
        読売新聞は「『軍の関与』などの表現で日本軍がかかわっていたとする記述の復活を認めた」と報道するが、「軍の関与」の記述は、前記のとおり、従前も否定されていたわけではないので、読売新聞の誤解である。
       同紙が「『軍の強制』の記述復活は認めなかった」と述べる点は、正当である。
      ⑶ 朝日新聞(甲B118)
        朝日新聞は、「『日本軍が強制した』という直接的な記述は避けつつ、『軍の関与』や『戦中の軍の教育』などによって住民が自決に追いこまれたと記しており、『集団自決が起きたのは、日本軍の行為が主たる原因』と読める結果になった」などと報道した。強制という直接的記述が認められなかったとの理解は正しい。
        同紙が「『集団自決が起きたのは、日本軍の行為が主たる原因』と読める結果となった」と述べたのは、同紙による主観的解釈が一部含まれるが、文科省の立場も、「集団自決が起こった状況を作り出した要因にも様々なものがある」、「軍の関与はその主要なものととらえることができる」(甲B104 p8)というものであり、その主旨の範囲での理解、報道ならば、誤ってはいない。
        ただ、同紙は記事中で、「文科省は、『軍の強制』を認めなかった検定意見を撤回しなかったものの、内容を事実上修正する結果となった」とも書いたが、この点は、同紙の誤導である。前記のとおり、検定意見に揺るぎはなかった。
        教科書の書きぶりが変わり、それに伴い教科書記述から受ける印象は一部変わったとはいえようが、それは、教科書発行者が記述の訂正の申請をし、それが一定範囲(すなわち検定の基準、考え方の中)で許容され、記述訂正が行われたからである。教科書記述が若干変化したからといって、検定基準が左右したと解釈するのは、あまりに浅はかである。検定の立場においては、「軍の強制は認めない」という判断基準は変化せず、一貫して完全に守られた。本件訴訟では、その点に焦点が当てられねばならない。
      ⑷ 毎日新聞(甲B119、120)
        毎日新聞は、「旧日本軍による集団自決の関与を認めた。しかし、日本軍の命令を直接の原因にすることや断定的に『強制』の表現を使うことは認めず、沖縄県民などが求めていた今春の検定意見の撤回にも応じなかった」(甲B119)と報道したが、この点は、正確である。
        同紙は社説において、「当初の検定では『強制』標記の排除だけでなく、関与も軍を主語から外すなどしてあいまいにした。そこから見れば今回の修正は一歩踏み込んだものといえようが…(以下略)」と述べるが、当初の検定結果でも、軍による手榴弾交付の点など一定の「軍の関与」の記述は認められていたのは前記のとおりであり、この点、理解が不十分である。
       更に同紙の社説は、「軍関与をはっきり認めたことで検定の考え方に変化や『調整』があったとみるべきだが、 文科省は『一貫している』と言う。それはないはずだ」と指摘し、「検定の考え方の変化」を示唆するが、これには確たる根拠が何ら示されておらず、同紙の独自解釈に過ぎないというほかはない。
      5 一貫している教科書検定の考え方と被控訴人らの誤導
       以上のとおり、教科書検定における考え方(検定基準)においては、「軍の強制・命令」は認めないという点は、平成18年度の検定以降一貫している。「隊長命令」の有無が争点である本件との関係では、その点が何より重要なはずである。
       従前、「軍の関与」の記述を許容していたかについては、控訴人らと被控訴人らとで理解が異なるが、「軍の関与」の事実の有無が争点ではない本件訴訟においては、この点は、正面から論点とされるべきものではない。
       被控訴人らは、「教科書検定の考え方は、最終結論では平成17年度検定の立場に戻った」と主張するが、失当である。
        「軍の関与」と「直接的な軍の命令ないし強制」とを厳密に峻別し、前者の記述は許容するが後者の記述は認めないという文科省の教科書検定の考え方について、被控訴人らは、あえてその両者を区別せず、「軍の関与、強制、命令」を混然一体のものとして議論し、「それらの記述は当初許されなかったが、最終的に承認された。だから教科書検定の考え方は改められた」などと強弁しているに過ぎない。しかし、「軍の関与」と「直接的な軍の命令ないし強制」の区別が、特に本件訴訟での名誉毀損の成否を決するにあたって決定的に重要であることは、既に控訴人らが縷々指摘してきたとおりである。

       

      2008年10月2日 06時53分 

       

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      控訴人準備書面(1) 第4、第5

      控訴人準備書面(1)第4、第5

      第4 手記「戦斗記録」のゲラと『紀要』末尾6行 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 32
       1 はじめに ‥‥‥‥‥‥‥‥ 32  
       2 『紀要』作成までの関係証拠の整理 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 33
       3 大城将保の弁解について ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 34
      4 結論 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 36
       5 「真相は梅澤氏の手記のとおり」 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 38
      6 補足−神戸新聞記事と梅澤供述の信用性の回復− ‥‥‥‥‥‥‥ 39

      第5 宮平秀幸証言(控訴理由書p119「第4」)の信用性 ‥‥‥‥‥‥‥ 40
       1 被控訴人らの主張  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 40
       2 貞子証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 40 
       3 ビデオ証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 41 
       4 一九四五証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 42
       5 春子証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 42
       6 初枝証言について  ‥‥‥‥‥‥‥‥ 43 
       7 晴美陳述書(2)について  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 44 
       8 まとめ  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 45  


      第4 手記「戦斗記録」のゲラと『紀要』末尾の6行


       1 はじめに 
        甲B115の手記「戦斗記録」(写し)は、『沖縄県史料編集所紀要第11号』(甲B14)掲載の梅澤手記の末尾6行について大城将保が自身の認識を示したものであるか否かという争点に関連する証拠である。
      同書証をめぐっては、その作成経過等について、控訴人側において改めて資料調査を行い、控訴人ら代理人において新しく入手した書証(甲B115、128、129、130、131)の提出とその証拠説明を行った(平成20年6月27日付証拠説明書、平成20年8月12日付証拠説明書(6))。
      これら新証拠により、上記末尾の6行が大城将保によって作成されたものであり、自らの調査に基づく大城自身の認識を示したものであることが一点の曇りもなく明らかとなった。 


      2 『紀要』作成までの関係証拠の整理
      『紀要』(甲B14。昭和61年3月31日発行)発表までに、控訴人梅澤及び大城将保が作成した関係書証について、改めて時系列順に整理すると、下記のとおりである。
      々達130  梅澤書簡「自決命令を出したとは以ての外である」(昭和60年10月6日)
      甲B25の1 大城から梅澤への手紙(昭和60年10月16日)
      9達129 梅澤による手書き「戦斗記録」(昭和60年10月ないし昭和61年2月頃)
      す達128  沖縄県史料編集所紀要第11号』掲載「座間味島集団自決に関する隊長手記」原稿ゲラ(昭和61年2月21日頃。但し、梅澤が切り貼りして加工)
      ス達131  大城の手紙(昭和61年2月21日)
      控訴人らが原審原告準備書面(7)p41以下等で主張したとおり、昭和60年10月に沖縄県史料編集所主任専門員大城将保が、県史の《梅澤命令説》の訂正を手紙での連絡により求めた控訴人梅澤(甲B130)に対し、それを実現する手順として、控訴人梅澤の立場からの詳細な手記を発表ないし提示するのが適当と示唆した(甲B25の1)ことを受け、まもなく、控訴人梅澤は、戦時中の体験を「戦斗記録」と題する手書きの手記にまとめ、その写しを沖縄県史料編集所大城に送付した(甲B129)。手書きであったのは、控訴人梅澤はワープロ、パソコン等は当時も現在も使用せず手書きで書面を作成するのが常であるためである(甲B27等参照)。
        その梅澤手記「戦斗記録」を受け取った大城が、その手記も含め、『沖縄県史料編集所紀要第11号』(甲B14)掲載の「座間味島集団自決に関する隊長手記」と題する論考(報告)にまとめて原稿化し、掲載準備のために活字化(ワープロ打ちないしパソコン入力の上での刷り出し)した上で、それを、内容確認の機会を控訴人梅澤に与えるため控訴人梅澤に送付してきた。それが甲B128号証の、切り貼り、書き込み前の段階のものである。
        控訴人梅澤は、本書証から、自身の手記部分のみを取り出し、コピーして知人らに資料として配布するなどしたいと考え、2枚目の終わりに7行分あった「戦斗記録」のタイトル、執筆者表示及び冒頭書き出しの部分を切り取り(その際、大城が付していた2枚目左端の「2」という頁番号部分がなくなった)、3枚目の右端に貼り付けるとともに、その分横長になってB4サイズからはみ出ることとなった左端部分をカットした(その際、大城が付していた3枚目左端の「3」という頁番号部分がなくなった)。そのため、他の頁については基本書式が40行であるにもかかわらず、3枚目だけが48行になったのである。


      3 大城将保の弁解
       上記2に挙げた書証のうち、平成20年8月12日に提出した甲B131の大城の控訴人梅澤宛手紙は近時に発見された新証拠であるが、これにより、当時の両者のやりとりの全容がほぼ判明した。
      甲B131の大城の手紙は、最終段階の原稿チェックを求める内容となっており、『紀要』の原稿ゲラ(甲B128)と共に、大城は、この手紙を控訴人梅澤に対し送付してきたことが明らかである。
        原稿ゲラとこの手紙の送付は、日付からして昭和61年2月21日頃であるが、手紙の記載によれば、その時点から「すぐに印刷にまわさなければ」ならない状況であった。
        しかし、この段階の原稿ゲラには問題の末尾6行がなく、それが加えられたのは、昭和61年2月21日頃から印刷が開始されるごく短期間のうちのことであったことが分かる。
      末尾6行は梅澤手記『戦斗記録』の一部であるというのが、大城及び被控訴人らの主張であるが、大城が『戦斗記録』に末尾に控訴人梅澤に断りなく6行を書き加えたとすれば、他人の手記の無断改変で、当然許されない。
        大城は、当該部分を「私が電話で梅沢氏本人から同氏の結論的見解を聞き取って加筆したものです」と述べており(乙45p2)、被控訴人らも原審ではそれに沿った主張をなしているから、大城は、甲B131の手紙の送付後に、かような電話での聞き取りと加筆をなしたと、更なる弁解をするのであろう。
      しかし、かかる弁解はいかにも不自然である。
      何より、昭和61年2月21日の時点で「すぐに印刷に回す」という「ほぼ完成稿」の段階であったのであり、そこから控訴人梅澤の書いた部分を更に手直しをすることは考えにくい。
        また、甲B131には「もしご意見があればお電話ででもご指摘いただければ」とのメッセージが書いてあるが、手書きのものを忠実に活字にしてもらった控訴人梅澤には、加筆修正を認めるような「意見」は当時なかったことは明らかである。むしろ控訴人梅澤は、自分の手書きの手記が活字として完成されたことに喜び、知人らへの配布用に切り貼りしてコピーしたほどであり、控訴人梅澤から加筆を求める電話をするはずがない。
        それでは大城から控訴人梅澤に電話し、「梅澤の結論的見解」をあえて聞き取り、末尾に付け加えたのであろうか。
        一体何のためにそのようなことを大城が行ったのか。全く不明である。
        末尾の6行は、土壇場で慌てて「梅澤の手記に」付け加えねばならぬ内容では全くない。戦記の記述の中で、控訴人梅澤の「自分は住民に自決を命じてはいない。決して自決するでないと村幹部に対して言ったのだ」という主旨の事実主張は、明確に述べられており、控訴人梅澤の「真実を明らかにする手記」として既に完成している。
        仮に大城の主張する「電話での聞き取り」を想定したとしても、「印刷直前に急にどたばたと電話確認して他人の手記に加筆する。そして、それが誰が書いたのかよく分からないような体裁になっている。執筆者(控訴人梅澤)に、加筆した原稿をチェックさせた痕跡もない」という結果が、歴史研究家のリポートのあり方として倫理的にどうなのかという疑問があり、果たして大城がそのようなおかしなことを真実行ったのかという疑念に立ち戻らざるを得ない。

       

       

      4 結論  
       上記のように、新証拠も含め証拠資料を丹念に検討すればするほど明らかになるのは、『紀要』(甲B14)の末尾6行は、印刷に回す直前に、リポートの最後の「まとめ」として、大城が自身の認識を書いたものであるということである。
      そのように考えることが、記載内容に照らしても合理的である。
      まず、『紀要』の末尾6行のうち、第1文は、この大城のリポートの前半(「一“隊長命令説”について」)の内容と符合することが指摘できる。
        リポート前半の要旨は下記のとおりである(甲B14 p36〜38)。
      ○ “隊長命令説”には二種類の原資料が考えられる。
      ○ その1つは『鉄の暴風』である。
      ○ もう1つが、「宮城初枝氏の手記『血ぬられた座間味島・沖縄緒戦死闘の体験手記』」と、そのもとになった「座間味村当局が琉球政府及び日本政府に提出した『座間味戦記』」である。
      ○ それら二種類の原資料のうち、後者の記述が、山川泰邦『秘録・沖縄戦記』、『沖縄県史第8巻』、『沖縄県史第10巻』、『沖縄大百科事典』等の多くの書籍で、引用されている。
      ○ 二種類の原資料の前者(『鉄の暴風』)は、隊長自ら自決現場に立ち会って命令を下したように書かれているが、後者(血ぬられた座間味島』、『座間味戦記』)はそうではない。
      ○ 多くの住民証言から、役場の書記が「忠魂碑前に集合して玉砕するよう」伝達して回った事実は確認されている(控訴人ら代理人注:一方で、隊長自ら自決現場に立ち会って命令を下したという証言は一切ない。即ち、『鉄の暴風』の記載を裏づける証言は確認されていないということが、暗に指摘されている)。
      一方、問題の末尾6行の第1文は、「以上により座間味島の『軍命令による集団自決』の通説は村当局が厚生省に対する援護申請の為作成した『座間味戦記』及び宮城初枝氏の『血ぬられた座間味島の手記』が諸説の根源になって居ることがわかる」という記載である。これは、要するに「(二種類の原資料のうち、後者の)『座間味戦記』及び『血ぬられた座間味島の手記』の内容が諸説の根源となり、通説化して、多くの書籍において述べられることとなっている」という趣旨であり、リポート前半の趣旨と完全に一致しているのである。
      このような一致は、筆者が同一、すなわち大城であるからにほかならない。
      くどいようであるが、事件の当人である控訴人梅澤が、体験を縷々語った手記の末尾に、突然に冷徹な資料検討の結果(そしてそれら資料は、その部分以外では、梅澤手記の中には全く触れられていない)を語り出し、諸説の根源が○○であると「分かる」等の、第三者的な調査結果報告をするはずがない。
      結論として、末尾6行は大城が自分の認識を書いたのである。報告者としての「まとめ」あるいは「コメント」をリポートの最後に書かねば、他人である控訴人梅澤の手記でリポート全体が終わることとなり、リポートとしての体裁上も不自然ということもあり、また、裏づけとして宮城初枝に真相を聞き取ったという研究者としての成果報告を付記する趣旨もあって、大城は末尾6行を書いたのであろう。
      細かいこととなるが、『紀要』の46頁の上段と、下段の末尾6行との間には、1行分の空白がある。これは、他の頁が上下段とも19行あるのに対し、46頁の上段が18行しかない(ように一見見える)ことから、分かる。
      この1行分の空白が意味するものは明白である。その空白の前が梅澤手記であり、後ろが大城によるまとめのコメントであるがゆえに、1行分の空白が挿入されたのである。そうでなければ手記の途中で突然に1行空ける理由がない。
      上記のように、いかなる角度から検討しても、『紀要』の末尾6行は大城が自身の見解を記したことは明々白々なのであるが、この点を大城は見苦しくも否認し、大城が文科省(教科書検定調査審議会第2部会日本史小委員会)に対して提出した平成19年11月22日付意見書においては、大城は、「『現在宮城初枝氏は…」云々の文章には私にはまったく身に覚えのない記事であって、事実無根のデマ宣伝としか言いようがない」(甲B104資料⑸)などと述べている。自身のリポートに付された「現在宮城初枝氏は…」を見たことがないかのように大城が言うのは控訴人らとしても全く理解に苦しむところであるが、いずれにしても、大城の弁解も、苦しさ極まって、支離滅裂の有様になっていると言わざるをえない。


      5 「真相は梅沢氏の手記のとおり」
      以上のように大城が『紀要』の末尾6行を書いたことを控訴人らは改めて述べ尽くしたが、その中の第2文には、こう書かれている。
      「現在宮城初枝氏は真相は梅沢氏の手記のとおりであると言明して居る。」
      これがリポートの最後の締め括りであり、この内容が正しく大城の当時出した結論であったのである(尚、ここでは「宮城初枝氏」となっているが、控訴人梅澤の手記中では、宮城初枝について(宮平ないし宮城)「初枝さん」と2箇所で書かれており〈甲B14 p41下段、p42上段〉、そのことも記述の主体が両者異なることをうかがわせる)。
      大城の宮城初枝に対する調査に関しては、甲B131の大城の手紙の冒頭の「宮城初枝さんはじめ関係者のご意見をうかがったり、関係文献をあさったりするのに手間取ってしまいました」と書かれている部分が非常に重要である。ここから明らかなように、当時、大城は宮城初枝その他の関係者に対し入念な再聴取を行うとともに、関係文献を精査し、控訴人梅澤の説明について検証を行っていたのである(いかに控訴人梅澤の抗議があるからといっても、検証に耐えられないような控訴人梅澤の虚偽弁解を無批判に『紀要』に掲載することは報告者として避けなければならないと大城が考えたのは、当然のことであろう)。
      その上で、大城が前記の締め括りの一文を記した意味は極めて大きい。
      前記の「真相は梅沢氏の手記のとおり」との表現は宮城初枝の「言明」を借りた形にはなっているが、かかる経緯やリポートの文脈からして「決定的証人」と評価の上で初枝の証言を引用しているのであり、そこには同時に大城自身の認識が示されているのである。
      6 補足―神戸新聞記事と梅澤供述の信用性の回復―
      大城は、昭和61年の神戸新聞の記事(甲B10)中に書かれた、自身の「宮城初枝さんからも何度か、話を聞いているが、『隊長命令説』はなかったというのが真相のようだ」、「新沖縄県史の編集がもうすぐ始まるが、この中で梅沢命令説については訂正することになるだろう」というコメントについては、現在、「でたらめな談話記事」、「神戸新聞の記者から電話一本もらったことはない。おそらく梅沢氏の言い分と私の解説文の一部をまぜあわせて創作したのであろうが、誰がみても事実と矛盾する内容で、明白なねつ造記事である」と述べる(乙44)。
      しかしながら、前記のとおり、昭和61年3月発表の『紀要』で、大城が「現在宮城初枝氏は真相は梅沢氏の手記のとおりであると言明して居る」という形で「《梅澤命令説》は間違いだというのが真相」との旨明らかにしていることは、この神戸新聞記事の内容と完全に符合するものであり、前記5までの分析は、『紀要』末尾6行問題について控訴人梅澤の供述の信用性を回復するものであると同時に、この神戸新聞記事、さらには翌年の同新聞の記事(甲B11。宮村幸延が「歴史を“拡大解釈”することにした」等のコメントをしている)の信用性を回復し、更に高めるものであると言うことが指摘できる。このことは、宮村幸延の『証言』書面(甲B8)をめぐる控訴人梅澤の供述の信用性を高めるという評価にも繋がることも、付言しておきたい。

      第5 宮平秀幸証言(控訴理由書p119「第4」)の信用性


       1 被控訴人らの主張
      被控訴人らは控訴審準備書面(2)において、宮平秀幸証言(以下「秀幸証言」という。)が、 愃卒嵬B嫉鵬軸』(乙50)掲載の宮平貞子証言(以下「貞子証言」という。)、⊇┨自身のビデオ証言(乙108の1。以下「ビデオ証言」という。)、K榲通春著『座間味島一九四五』(乙109)掲載の秀幸自身の証言(以下「一九四五証言」という。)、ぁ慂譴琉笋靴燭發痢戞聞達5)掲載の宮平春子証言(以下「春子証言」という。)、及び、テ噂餬悩椶竜楙觸藥涵攜澄憤焚次崕藥涵攜澄廚箸いΑ)と食い違っているとして、秀幸証言に信用性はないと主張する。そして、貞子証言や春子証言等の信用性を裏付けるために宮城晴美の陳述書(乙110。以下「晴美陳述書(2)」という。)を再び提出している。
      しかしながら、上記食い違いには各々以下に述べるような合理的理由があり、秀幸証言の信用性に何ら影響を与えるものではないし、晴美陳述書(2)についてはそもそもその内容自体信用性に乏しいものである。


      2 貞子証言について
      藤岡信勝拓殖大学教授は、平成20年1月から同年3月まで3回にわたり座間味島を訪問し、秀幸を中心に関係者から綿密な聞き取り調査を行うと共に、秀幸証言と他の証言との食い違いについて分析を行い、それらの結果を意見書に纏めた(甲B132)。
      藤岡教授は同意見書において、…膸匸攜世蓮⊇┨が本部壕にいた後に忠魂碑前で家族と合流したという事実の前後関係について混乱が見られること、⊇┨の祖父母は足が悪くうまく歩けない状態だったことからすれば、貞子証言を、書かれているままに「家族全員でお米をもらいに出かけた」という意味で読むと家族の行動が非合理的なものとなるから、言葉を補って読む必要があり、その意味で同女の証言は不完全な証言であること、秀幸の妹である宮平昌子の証言と秀幸証言とが忠魂碑前での出来事について符合していること、等を指摘し、貞子証言は明らかに虚偽であると分析している(甲B132p4〜11)。
      以上の通りそもそも貞子証言自体が虚偽であるから、秀幸証言の信用性に何ら影響を与えるものではない。


      3 ビデオ証言について
      秀幸は陳述書(甲B142)において、,海離咼妊の撮影は村役場を通してのものであったこと、当時、秀幸は田中登村長から呼び出され、「集団自決の本当のことを話したら村に居られないようにしてやる」と脅かされていたこと、撮影前に田中村長の妻恵美がわざわざ家に来て、母貞子に「秀幸さんに集団自決のことを喋らせてはいけない」とクギをさしたこと、せ1討蓮⊆囲に漏れないように家中の電気を消し、カメラのスポットライトを当てて行われたこと、ッかが家に訪ねてくるたびに撮影を中断したので、撮影に3日間もかかったこと、真実を話せない、まるで「監視下」のような状況での撮影であったために、⑴3月23日から同月25日までの行動についてはサラッと流すような内容に止まり、本部壕での梅澤隊長と村幹部とのやり取りや、村長が忠魂碑前で村民を解散させたことについては全く触れられず、⑵3月25日の深夜、足の悪い祖父母を連れて一家7人が何キロもある部落の中を徘徊した真の理由(整備中隊でも第二中隊でも兵隊から「死んではいけない。出きる限り生き延びなさい」といって食料を与えられ、励まされたこと)についても話せなかったこと、等を述べている(甲B142p4〜5)。
      現に、問題のビデオ映像(乙108の1)を見ると、秀幸は3月23日から同月25日までの行動を話す場面(その中には「軍の玉砕命令」に言及する場面も含まれる)において、それまでインタビュアーに向けていた視線を下げ、うつむいたまま、自信なさそうに、言葉を選びながら、声を小さくして、話をしている(乙108の2・反訳書p6の2〜15行目の部分がそれに該当する。)。他の場面での同人の生き生きとした語り口と比較すれば、その自信のなさと慎重さは鮮明である。これは正に、真実を語っていない自分に対する後ろめたさの表れである。
      以上の通り、ビデオ証言は秀幸が村当局からの圧力を受け、敢えて《梅澤命令》の不存在を裏付ける事実に触れていない内容のものであるから、秀幸証言と食い違うのは至極当然のことであり、秀幸証言の信用性に何ら影響を与えるものではない。


      4 一九四五証言について
      藤岡教授は前記意見書において、)榲通春(以下「本田」という。)の取材を受けた当時、秀幸は座間味村の田中登村長から、「本当のことをしゃべってはいけない。援護金がもらえなくなったら座間味の人は飢えてしまう。それでもよいのか。いかなることがあっても、あれは軍の命令であったことにしなければならない」と圧力を受けていたため、集団自決について絶対に語ってはならない部分があったこと(その部分とは、⑴本部壕で村の幹部に梅澤隊長が自決用の弾薬の提供を拒否し、更には「自決するな」と命じたこと、及び、⑵忠魂碑の前で野村村長が「解散命令」を出したこと)、△修里茲Δ米端貉情と、秀幸の話し方の特徴(自分以外の肉親の体験であっても、あたかも自分の体験のように場面を描写的に再現する語り方)、更には本田の限られた取材時間(夜十時頃からの数時間)といった要因が重なることにより、本田が秀幸から聞き取りを行う際に誤解が生じたこと、等を指摘し、一九四五証言との食い違いは秀幸証言の信用性を減殺するものではないと分析している(甲B132p11〜20)。
      以上の点から明らかなように、一九四五証言もまた秀幸が村当局からの圧力を受け、敢えて《梅澤命令》の不存在を裏付ける事実に触れない内容となっているのであるから、秀幸証言と食い違うのは至極当然のことであり、秀幸証言の信用性に何ら影響を与えるものではない。


      5 春子証言について
      被控訴人らは、春子証言に照らせば村長は忠魂碑に向かっていないことが明らかであると指摘し、そのことをもって秀幸証言は虚偽であると主張する。
      問題の春子証言の内容は、「一家は盛秀を先頭に、忠魂碑に向けて出発した。燃えあがる炎と飛んでくる砲弾におびえながら歩いていると、突然数メートル先に証明弾が落下し、あたりが昼のようにパーッと明るくなった。これ以上進むと危険である。しかたなく、来た道を引き返すことにした。ちょうどその時、村長と収入役がそれぞれ家族を連れ、盛秀一家の方に向かってくるところだった。ここで全員忠魂碑に行くことをやめ、農業組合の壕に向かって歩きだした。」というものであるところ、その証言では、春子らと遭遇するまで村長がどのような行動を執っていたのか、その詳細について明確に述べられているわけではない。春子らが、村長と収入役と出会ったことが事実であったとこしても、忠魂碑前で解散を指示してから引き上げて来る道程で春子らと出会った可能性は十分ある。
      また、藤岡教授は意見書(2)において、‖爾了位髻並篠后⊇役、収入役)は、伝令を派遣して忠魂碑前に村人を集合させた張本人であり、自分で村人を集合させておきながら、自らは何の指示も与えずに現地に行くことをやめ、自分たちだけで勝手に別の場所に避難するなどという無責任な行動はあり得ないこと、⊂斂醒討落ちたことは理由にならないこと、まして、盛秀は人一倍責任感の強い、意志強固な人物であったこと、を理由として、「村の三役が誰も忠魂碑前に行かなかったという春子の証言こそ、社会常識から考えて到底受け入れることのできない荒唐無稽なつくり話です。」と結論付けている(甲B145p18⑵)。
         よって、春子証言もまた秀幸証言の信用性に何ら影響を与えるものではない。


      6 初枝証言について
      被控訴人らは、3月25日夜の本部壕での村幹部と梅澤隊長とのやり取りの場面に係る初枝証言の中に野村村長と秀幸が出て来ないことを指摘し、そのことをもって秀幸証言に信用性がないと主張している。
      しかしながら、藤岡教授の意見書所収の秀幸陳述書(甲B132p2)によると、〔鄲実篠垢他の村幹部より少し遅れて本部壕に到着したこと、∨槁壕の入り口にはアメリカ軍の火炎放射器で焼かれるのを防ぐため、水で濡らした毛布を吊るしていたこと、その毛布の陰で秀幸が村幹部と梅澤隊長とのやり取りの一部始終を聞いていたこと、が明らかである。
      そうだとすれば、到着時間の遅れや遮蔽物(毛布)の存在が要因となって初枝が野村村長の存在に気付かなかったことが十分考えられるし、秀幸は毛布の陰で(即ち本部壕の外で)やり取りを聞いていたのであるから、初枝が秀幸の存在に気付かなかったことが十分考えられる。
      以上より、初枝証言の中に野村村長と秀幸が出て来ないことは何ら不自然ではないから、同女の証言は秀幸証言の信用性に何ら影響を与えるものではない。


      7 晴美陳述書(2)について


      ⑴ 晴美陳述書(2)には、「本部付の伝令であった中村尚弘氏に聞いてみたところ、『秀幸は伝令ではなかった』と明言しているのです。」と堂々と述べられ、秀幸が伝令であったと証言しているのは嘘であるとの決め付けが為されている。
      しかしながら、当の中村尚弘(以下「中村」という。)の証言によると、晴美と20秒くらい挨拶と立ち話をした際、同女から「秀幸叔父さんも尚弘さんと一緒に軍の伝令をしていましたか」と尋ねられ、「いいえ、一緒ではなかったよ」と答えただけである(甲B143)。
      沖縄戦当時中学生だった中村は4人でチームを作って村役場に詰め、軍と役場間の伝令を務めていたのであり、上記の通り同人が晴美に「いいえ、一緒ではなかったよ」と答えたのは、そのチームに秀幸は入っていなかったという意味に過ぎない。それを晴美は「秀幸が伝令ではなかった」という話にすり替えて、殊更に秀幸証言の信用性を貶めようとしているものである(甲B142・秀幸陳述書p1〜2)。
      晴美はこのような手法で事実を捻じ曲げているものであり、そのような操作を施してまで作成されている同女の陳述書(2)は、そもそもその内容自体信用性に乏しいものである。


      ⑵ また、晴美は陳述書(2)において貞子の記憶力の良さを殊更に強調し、貞子証言の信用性を高めようとしている(乙110「2」)。
      しかしながら、前記「2 貞子証言について」で述べた通り貞子証言自体が虚偽であるから、いくら晴美が貞子の記憶力の良さを強調しようとも、貞子証言の信用性を高めることにはならない。それに、そもそも前記⑴の通り晴美陳述書(2)の内容自体信用性に乏しく、秀幸証言を否定しようとする意図的なバイアスが働いていることが明らかであることからみても、それが貞子証言の信用性を高めるものということはできない。  


      ⑶ 以上の点から明らかなように、晴美陳述書(2)の存在もまた、秀幸証言の信用性に何ら影響を与えない。
      8 まとめ
      以上より、被控訴人らが主張する各証言との食い違いや、晴美陳述書(2)の存在は、秀幸証言の信用性に何ら影響を与えるものではない。
      秀幸は本件訴訟前の平成13年の時点から《梅澤命令説》を否定する証言をしていたのであって(甲B113・9枚目)、今になって新たな証言をするようになったわけではないし、そもそも同人が嘘を付いてまで《梅澤命令説》を否定しなければならない理由は全く存在しない。秀幸証言は『母の遺したもの』掲載の宮城初枝証言と大筋で一致しているのであり、同証言との間に細かな部分について齟齬があることは、むしろ秀幸証言が創作の加えられていない原体験を如実に語るものであることを示している(創作の加えられたものであれば、後になって種々の疑問を向けられることのないように、それこそ細かな点まで一致している筈である。)。
      以上

       

      2008年10月2日 06時49分 

       

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      控訴人準備書面(2)1/2

       

      平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件    
      (原審 大阪地方裁判所 平成17年(ワ)第7696号)   
      控 訴 人  梅澤裕、赤松秀一
      被控訴人  株式会社岩波書店、大江健三郎          
        
        
      控訴人準備書面(2)

                        
      平成20年9月8日  
      大阪高等裁判所第4民事部ハ係 御中  


                      控訴人ら訴訟代理人

                     弁護士  松  本  藤  一

                     弁護士  徳  永  信  一

                     弁護士  岩  原  義  則

                     弁護士  大  村  昌  史

                     弁護士  木  地  晴  子

                     弁護士 中  村  正  彦

      弁護士 高 池  勝 彦      弁護士 本 多 重 夫

      弁護士 青 山 定 聖 弁護士 荒 木 田 修

      弁護士 猪 野   愈      弁護士 氏 原 瑞 穂 
      弁護士 内 田   智      弁護士 小 沢 俊 夫 
      弁護士 勝 俣 幸 洋      弁護士 神 崎 敬 直    
      弁護士 木 村 眞 敏      弁護士 田 中 平 八 
      弁護士 田 中 禎 人      弁護士 小 沢 俊 夫 
      弁護士 田 辺 善 彦      弁護士 玉 置   健 
      弁護士 中 條 嘉 則      弁護士 中 島 繁 樹 
      弁護士 中 島 修 三      弁護士 二 村 豈 則 
      弁護士 馬 場 正 裕      弁護士 羽 原 真 二 
      弁護士 浜 田 正 夫      弁護士 原   洋 司 
      弁護士 藤 野 義 昭      弁護士 三ツ角 直 正 
      弁護士 牧 野 芳 樹      弁護士 森   統 一 
       
      − 目 次 −

        
      第1 住民証言等にみる軍の「善き関与」  ‥‥‥‥‥ 4
       1 はじめに ‥‥‥‥‥‥ 4 
      2 金城重明証言−赤松隊による救護活動− ‥‥‥‥‥ 4  
       3 知念朝睦証言−子供らへの食料供与命令− ‥‥‥‥‥‥ 6  
       4 伊礼(古葉蔵)眞理子証言 −「命は大事に」と励ました赤松隊長 − ‥‥‥ 6
       5 宮城初枝証言−木崎軍曹による手榴弾交付と無事を喜んだ梅澤隊長 − ‥‥‥‥ 7 
       6 宮平育江証言−梅澤隊長の食料携行命令と長谷川少尉の保護命令− ‥‥‥ 10
       7 上津幸子証言−もし敵に見つかったら…の意味− ‥‥‥‥‥‥ 13
       8 宮平トメ証言−兵士による安全誘導と食料の返還− ‥‥‥‥‥‥ 13 

      第2 英文報告書にみる自決のアドバイスと校長ら教員による指導 ‥‥‥‥‥‥‥ 14
       1 証拠提出された英文報告書の記述 ‥‥‥‥‥‥‥ 14 
       2 校長ら教員による自決の助言ないし指導 ‥‥‥‥‥‥‥ 15 
       3 自決を助言した主体と目的 ‥‥‥‥‥‥‥ 16 
      4 慶留間島での自決指示が意味するもの ‥‥‥‥‥‥ 17

      第3 垣花武一の陳述書について ‥‥‥‥‥‥ 17
       1 はじめに ‥‥‥‥‥‥‥ 17
       2 阿嘉島における集団自決(第3項) ‥‥‥‥‥‥‥‥ 17 
       3 「全員玉砕」の打電(第4項)‥‥‥‥‥‥‥ 19 
       4 石川郵便局長の証言(第5項)‥‥‥‥‥‥‥ 20 
       5 野田隊長の謝罪と訓示(第6項)‥‥‥‥‥‥‥ 21 

      第4 推知報道と特定性について ‥‥‥‥‥‥ 21
       1 問題の所在と最高裁判決 ‥‥‥‥‥‥‥ 21  
       2 少年法61条の推知報道に関する最高裁判決 ‥‥‥‥‥‥‥ 22  
      3 最高裁判決が示した特定性の判断基準 ‥‥‥‥‥‥ 24 

                   



      第1 住民証言等にみる軍の「善き関与」 


      1 はじめに   
      検定審査会の考え方によれば、「軍の関与」は、沖縄戦における住民の集団自決の主たる要因であったとされているが、「軍の関与」は多義的であり、軍隊が島に駐留していたことも含む広い概念であり、「軍の命令」ないし「隊長命令」との関係でいえば、その存在を積極的に否定する状況証拠といえるものも少なくない。 
      また、『沖縄県史第10巻』『座間味村史下巻』『渡嘉敷村史資料編』等に収められた住民らの証言には、兵士らと住民とが極限状況の中でお互いをいたわり、配慮している人間的な触れ合いがなされている例としての「軍の関与」(これを「(軍の)善き関与」という。)や、軍の強制や命令とは何ら関わりなく自決が生じている例(これを「(軍の)関与なき自決」という。)が多々あることは、原審最終準備書面(その2)、控訴理由書p59〜において繰り返し述べたところであり、これらはいずれも住民の集団自決が軍ないし隊長の「命令」によって生じたものでないことを強く示唆している。  
      ここでは、それら「(軍の)善き関与」の証言のいつくかを代表例として拾いあげ、それらが《梅澤命令》ないし《赤松命令》を否定する重要な状況証拠であることを整理する。  


      2 金城重明証言−赤松隊による救護活動− 


      (1)証人金城重明は、原審証拠調べにおいて裁判官からの補充尋問に対し、集団自決の現場から生き残った後、赤松隊に保護されていたときの状況について次の通り証言している。  
      「川べりを、我々がいたところですが、小さな小川、その川べりを赤松さんが歩いておられた、そのときにですね、それは私はもう既に負傷してますから、指が全部入るほど、迫撃砲か何かでえぐり取られていたんで、もう治療を要する、けれでも軍の医療班のところに行くとばんそうこうだけくっつけている。治療できないんですよ、薬がないから。渡嘉志久へ行けば薬はあるだろうよと、そう言っておられたんですね。私は確認するために、ああ渡嘉志久へ行けば薬がありますかと言ったら、日本刀を抜かんばかりに怒りが彼の言葉として出たことも事実です」(金城調書p43〜44)。
      赤松隊長が怒った理由について金城は、「権威のある者の発言はもう1回で十分だと言わんばかりにしかられた」と証言している(同p44)。
          これから明らかなように、赤松隊は集団自決の現場から生き残った金城を保
      護し、不十分ながらもばんそう膏を貼るなどの治療を施し、「渡嘉志久に行けば薬があるはず」と治療薬のありかまで教えていたのである。


      (2) 曽野綾子著『ある神話の背景』には、集団自決で負傷した村民が赤松隊の医
      療班から手当てを受けていた事実が記録されており、当時赤松隊の衛生兵だった若山正三は、曽野の質問に対し次の通り証言している(甲B18p121〜122)。
           曽野:「村民の治療をなさったのは、若山さんのご一存ですか?」
        若山:「いや、軍医や隊長の意向でもありましたんでね。」
           曽野:「若山さんが、こっそり行っておあげになったんじゃありませか?」
           若山:「いやそんなことはないです。明らかに隊長と軍医に言われたです。」
           曽野:「それを証言なさいますか?」 
           若山:「それはまちがいないことです。」
      (3)《赤松命令説》が真実であり、部隊のために住民に犠牲を強いる非情な決断をしたのであれば、赤松隊長は金城に対しても、自決の完遂を命じるはずではないのか。事実は全く反対であり、負傷した金城を保護して応急措置を行い、貴重な薬のありかまで教えて、そこでの治療を示唆しているのである。『ある神話の背景』に記述されていた赤松隊による集団自決に失敗した住民救護の事実は、金城証言によって裏付けられたのである。
      金城を含めた住民に対する赤松隊の救護活動の事実は、赤松隊長の「善き関与」を示すエピソードであり、《赤松命令説》が虚偽であることを裏付ける最たる証拠である。


      3 知念朝睦証言−子供らへの食料供与命令− 


         当時赤松部隊唯一の沖縄県出身者であった証人知念朝睦は、原審証拠調べにおいて、集団自決が起こった後に陣地を訪ねて来た10歳の女児と男児に対する対応について、次の通り証言している。
       「戦隊長の命によりまして、乾麺麭を上げてやりましたら、帰りました。」(知念調書p2下から9行目以下)
       「はい、これは言いました。とにかく絶対死ぬなと、捕虜になってもいいから生きなさいと、死ぬのは兵隊さんだけだと、こう言っておりましたら帰りました。」(同p2下から5行目以下)
       「たしか私は財布をやったと思います。」「これはもう兵隊でございますし、死んだらその財布は何も必要なくなると。そういうことで、おまえら絶対生きなさいよと、生きたらこの金は使えるはずだから、必ずそれを持っていきなさいと言って渡しました。」(同p3下から9行目下)
       上記知念証言は、『沖縄県史第10巻』(乙9)p772下段以下にも掲載されている。
       赤松隊長の命によって知念証人が「絶対死ぬな、生きなさいと」言って食料や財布を子供たちに渡した事実は、いずれも《赤松命令説》を正面から否定するものであり、まさしく「軍の善き関与」を示すものである。

       

      4 伊礼(古波蔵)蓉子証言−「命は大事にしなさい」と励ました赤松隊長− 


        当時渡嘉敷島女子青年団長だった伊礼蓉子は『ある神話の背景』において次の通り証言している(甲B18p236)。
       「私は7月12日に、赤松さんのところへ斬り込み隊に出ることを、お願いに行ったことあるんですよ。5、6人の女子団員と一緒に。そしたら、怒られて、何のためにあなた方は死ぬのか、命は大事にしなさいと言って戻された。大変規律正しい軍隊でしたので、私たちが向こうへ行くにも、ちゃんと証明書貰って、そこには家々があって(監視所のことか? 曽野注)そこを幾箇所か通過しなければ赤松隊長さんの壕には行けなかった。」
               また、同女は『沖縄県史第10巻』所収の渡嘉敷女子青年団匿名座談会において、次の通り証言している(乙9p788。女子成年団長「K」が伊礼(古波蔵)である。)。
                「(自決に失敗して本部へ行く途中)私は、西山陣地の下の方で重機を構えていた高橋軍曹の所へ行って、この重機で私をうって下さいと哀願しましたら、生きられるだけがんばりなさいと励まされてひきかえしました。」
      これらは赤松隊長らが住民に対し、死ではなく、命の大切さを説き、生き延びるようにと言ったことを内容とするもので、いずれも《赤松命令説》を正面から否定する軍の「善き関与」を示すものである。


      5 宮城初枝証言−木崎軍曹による手榴弾交付と無事を喜んだ梅澤隊長− 

       
       (1)原判決は、初枝が木崎軍曹から「途中で万一のことがあった場合は、日本女性として立派な死に方をしなさいよ」として手榴弾を渡されたエピソード(甲B5p46)について、「梅澤命令説を肯定する間接事実となり得る」(原判決p117)とする。
      しかし、木崎軍曹による手榴弾の交付がどのような意味を持つのかは、証言の前後の文脈を踏まえ、具体的な場面と状況を考えなければならないはずであり、そうしてみれば、それが「梅澤命令説を肯定する間接事実となり得る」とした原判決の証拠評価がいかに浅薄なものであるかが分かる。
      (2)木崎軍曹が初枝ら3名の女性らに手榴弾を渡した経緯は、初枝の手記において詳細に述べられている(甲B5p12〜)。無差別艦砲射撃に続く米軍の上陸が予想されるなかで、初枝は、宮里盛秀助役ら村の幹部らとともに本部壕に行くが、そこで控訴人梅澤が「今晩は一応お帰りください。お帰りください」として助役の申し出を断る場面を目撃して引き返した後、朝になって夥しい米艦隊をみて「もうだめだ」と打ちのめされ、「兵隊さんの近くにいれば安心だ」と思って整備中隊の壕に行き、そこで玄米ご飯や牛肉の缶詰めを「食べなさい」と手渡された。いよいよ米軍の上陸がはじまり、部隊は敵に斬り込みをかけることになり、初枝ら5人は、集合場所の稲崎山に弾薬運びを頼まれ、そこで斬り込み隊の生存者と合流する約束で別行動をとる。この時に、木崎軍曹から手榴弾が渡されたのである(甲B5p46)。午前4時頃、目的地に弾薬を運び終え、夜が明けても兵士は誰一人として姿を見せなかったため、みんな玉砕したと思い、「死にましょうよ。敵に捕らわれて辱めを受けて殺されるくらいなら」と木崎軍曹から手渡された手榴弾で自決を決行するが、不発弾だったため果たせず、投身自殺するべく裏海岸めがけて無我夢中で走ったものの、そこで敵の艦隊を目の当たりにしてこれもあきらめた。やがて敵機に発見され機銃掃射を浴びせられるなどした後、谷川へ下りて水を飲んでいるとき、宮里良三を含む部落の人4、5人と出会い、内藤中尉の部下が、自決してしまったのかと探していたことを聞かされ、併せて「すぐ行きなさい。心配しているよ」と言われて稲崎山へ急いで戻ると、全滅したと思い込んでいた部隊の兵士らと再会し、梅澤部隊長と内藤中尉は、「ご苦労だった。それにしても無事で何よりだった。本当によかった」と、心から労をねぎらい、その無事を喜んだということである(甲B5p51)。 
      (3)初枝の手記からみて、木崎軍曹から手渡された手榴弾は、部隊とは別行動をとる初枝らに対する「万一」のための対処法であったことは明らかである。この「万一」のために手榴弾を手渡したことの意味づけについては、原審最終準備書面(その1)p58等で繰り返し説明しているように、当時、兵士も住民も、米軍に捕まったら男は八つ裂きにされ、女は強姦され米兵の慰み物にされると信じ切り、実際、無差別艦砲射撃や機銃掃射を受ける状況下においてますますその恐怖が高まるなか、「米軍に捕まったら、生きるよりもよほどつらい地獄のような目にあう。そうなりそうになったら自決を」という内容(曽野綾子「疲れ切った温情」甲B94p68、小林よしのり「善意から出た関与」甲B87p71)に他ならず、「部隊の行動を妨げないため、部隊に食糧を供給するため」に住民に自決を命じたとする無慈悲な《隊長命令》の内容を含まないことは明らかである。 
      (4)この点、被控訴人らは任務達成を喜んでいるに過ぎない、万一のために手榴弾を渡すという「自決の命令」と無事を喜ぶエピソードは両立し得るなどという。
      しかし、初枝らは集合場所である稲崎山に弾薬を運びその任務を果たした後、自決を図ったが果たせぬまま山を下り、敵機の機銃掃射をやりすごし、谷川付近で水を飲んでいるときに出会った部落の人から稲崎山に部隊が集結していることを聞かされて急いで戻り、そこで部隊と再会したのである。稲崎山に到着した梅澤隊は当然初枝らが任務達成をしたことを知り、その上でそこにいない初枝らの身を案じて探していたのである。
      そして何よりも、部隊と合流した際に、控訴人梅澤自身が、「ご苦労だった。それにしても無事で何よりだった。本当によかった」とその「無事」を喜んでいるのである(甲B5p51)。控訴人梅澤が初枝を含む住民に自決を強いる命令を出していないことは明らかである。
      被控訴人らの主張(控訴人梅澤は、初枝らの無事ではなく任務達成を喜んでいるに過ぎない)は、文脈を曲解しているばかりか、いつの間にか「万一」のために木崎軍曹がした手榴弾の交付を《梅澤命令》だと主張して、《梅澤命令》の中身を完全にすり替えているのである。
      (5)このことは、初枝が部隊と合流した後、梅澤部隊長の頼みに応じて澄江と2人で部隊の道案内をすることになって出発する際、残る3人に「もし明日まで戻らなかったら2人は死んでいるんだから、兵隊さんから手榴弾を貰って自決しなさいね」(甲B5p52)と言いふくめていることからも理解することができる。この初枝の指示は、木崎軍曹の指示と同じく、残る2人のことを案じて「万一」のためになされたものであることは明らかである。木崎軍曹も初枝も、決して手榴弾による自決を望んでいるわけではない。あくまでも無事を望みつつ、「万一」のとき、地獄のような目にあうことを避けるため、自決を指示したものであった。被控訴人らは、かかる初枝の指示も「命令」だというのだろうか。被控訴人らの強弁がためにする曲解であることは明らかである。 
      (6)そもそも、甲B5は、初枝が《梅澤命令》を否定した告白を受け、全体として梅澤命令説を完全に否定するものである。その中に収録されているエピソードが、梅澤命令説を肯定する根拠となるわけがない。初枝のこの部分の証言も、《梅澤命令》を否定すべきエピソードとして記載されているのである。控訴人梅澤が自ら「それにしても無事でなによりだった。本当によかった」と初枝らの無事を喜んだことや、谷川で水を飲んでいた初枝らに出会った宮里良三らが、「すぐ行きなさい。心配しているよ」と稲崎山に集合した部隊が初枝らを心配していることを告げている事実もまた、軍から自決命令など出ていないことを証明する間接事実である。
      併せて初枝から、「いざとなったら自決するつもりでいたんですけど、本能的に死ぬのがこわくなるんですね。それで、家が下谷さんたちをお世話していた関係から、気心の知れた整備中隊の壕に、私たちを殺して下さい、とお願いに行ったんです。そしたら、待ちなさい、そんなに死に急ぐことはない、とさとされましてね。しばらくすれば、われわれは敵に向って突撃するつもりだから、そのあとはこの壕が空になる。まだ米や缶詰が残っている。だからこの壕を使いなさい。ここなら安全だから−と励まされました」という証言を聞いた本多靖春が「この初枝さんの証言から、住民たちは自決命令のあるなしにかかわらず、死ぬ覚悟でいたことが明らかである。そして梅沢少佐以下の軍関係者が、住民たちに自決を思いとどまらせようとしていたことも認めてよいであろう」(甲B26p305)としていることも指摘することができる。   
      明らかに、これら初枝の手記や証言に現れた諸事実は、木崎軍曹による手榴弾の交付も含め、いずれも《梅澤命令》を否定すべき状況証拠たる「軍の善き関与」の実例である。 


      6 宮里育江証言−梅澤隊長の食糧携行命令と長谷川少尉の保護命令−


      (1)育江の証言は、『座間味村史下巻』(乙50)、『潮だまりの魚たち』(甲B59)にも収められており、そこには陳述書(乙62)に記述された兵士から「自決しなさい」と手榴弾を手渡された経緯についても、より詳しく証言されており、これを一読すれば、それが《梅澤命令》を支持するどころか、これと矛盾するものであることは容易に了解することができる。 
           育江は、軍に徴用されて経理を担当する事務についていた。3月25日の朝、米軍が隣の安室島に上陸したことを告げ、いよいよ特幹兵が出撃することになった。育江らは、「私たちも武装しますから、皆さんの洋服を貸して下さい。それを着ますので、一緒につれて行って下さい」とせがんだが、小隊長は「あなた方は民間人だし、足手まといになるから連れていくわけにはならない」と断った。そして別れ際、「これをあげるから、万一のことがあったら自決しなさい」と手榴弾を渡されたのである(乙50p61、甲B59p162)。
      なぜか陳述書では、「万一のことがあったら」の部分が削除されているが、初枝の場合と同様、部隊は決して育江らの死を望んではいたものではない。そのことは、陳述書には掲載されていないが、『座間味村史下巻』及び『潮だまりの魚たち』に収められた育江証言に含まれた以下の2つのエピソードからも明らかである。
      (2)1つは控訴人梅澤からの「食料携行命令」のエピソードである。 
      『座間味村史下巻』に収められた証言録のなかで、育江は、「3月26日朝、『敵艦隊座間味に上陸した』と伝令がきました。そして、『女性の軍属のみなさんは、住民が裏の山に行っていますから、食糧の持てるだけのものは持って移ってください。部隊長の命令です』と言われ、出ていくことにしました」(乙50p61)と証言している。このエピソードは『潮だまりの魚たち』にも収められており、「女性の軍属の皆さんは、島の人たちが裏の山に避難しているから、持てるだけの食料を持ってそこへ移って下さい。部隊長の命令です」との命令を受けた育江ら女性軍属5人が裏の山(高月山)に避難する途中、上陸した米兵に暴行・虐殺される恐怖から前日もらった手榴弾で自決を試みるが失敗に終わった一部始終が記録されている(甲B59p163〜)。
      この育江の証言は重要である。梅澤は、伝令を通じて、女性軍属5名に住民が避難している裏の山(高月山)村に移るよう、そして食料を「持てるだけ持って」移るように命令しており、そこに控訴人梅澤の当時の意思と行動が明確に読み取れる。
      控訴人梅澤から育江らに対し、避難場所への移転が命じられたのは米軍上陸後の3月26日の朝であり、忠魂碑前に住民が集合した3月25日の翌日である。3月26日の朝、育江らに住民が避難している裏の山に移れと命令することは、それ自体《梅澤命令》の内容とは真っ向に反する。しかも、「持てるだけの食料を持って」というのは、当然、高月山に避難している住民たちに食料が渡ることも想定されており、育江らには、避難している住民らとともに生き伸びることが求められていたことを意味する。それこそが控訴人梅澤の意図であった。
      そもそも軍隊のために住民を犠牲にする無慈悲な《梅澤命令》の中身には、軍隊のための食糧の確保という目的があったはずであり、この「食料携行命令」は、真っ向から《梅澤命令》の内容に反しており、その存在を否定するものである。  
         (3)更に、『座間味村史下巻』や『潮だまりの魚たち』には、育江の証言として、米軍が上陸してから数日後、重傷を負った長谷川少尉が部下の上等兵らに育江らを保護して親元へ届けるよう指示した経緯が、長谷川少尉の死とともに川が急に干上がった不思議な現象とともに記録されている。
      「しばらくして、死の近いことを悟ったのか、傍にいた藤田上等兵と山下伍長に手元の刀を手渡しました。『自分はもう駄目だから、この日本刀で刺し殺してくれ。それから、この娘たちはちゃんと親元へ届けてやって欲しい』。少尉の傷の状況を知っている二人は承知しました」(甲B59p167、乙50p62も同旨)。そして急に川が干上がり、移動を余儀なくされた育江らは、最後の激戦に巻き込まれずにすんだ。育江たちは後日「泉の水が消えたのは、少尉の魂が水を吸い取って、その場所の危険を育江たちに告げたのではなかろうか」と語り合って冥福を祈ったという(甲B59p168)
      長谷川少尉は、育江らの身を案じ、その身辺を保護して親元まで届けるよう部下に指示しているのである。それは「保護命令」といってもよいだろう。部隊が育江らに対し、親元とともに、「自決」ではなく生き伸びることを望んでいたことは明らかである。このエピソードもまた《梅澤命令》を否定する「軍の善き関与」であると断じる所以である。 


      7 上洲幸子証言−もし敵に見つかったら・・・の意味− 

        
       上洲幸子は陳述書(乙52)において、「米軍が上陸して4、5日たった頃」筒井中尉から「アメリカ軍が上陸しているが、もし敵に見つかったら、捕まるのは日本人として恥だ。捕まらないように、舌を噛みきってでも死になさい」と「指示」を受けたと述べる(乙52p1、甲B9、乙53も同趣旨)。
      しかし、筒井中尉が「もし敵に見つかったら」という仮定的な条件がつけられていることを見過ごしてはならない。筒井中尉は命令を遂行する義務をもった軍人である。もし集団自決が《梅澤命令》によるものであれば、筒井中尉は、「既に自決命令は出ている。直ちに自決せよ」と言うはずではないか。これもまた初枝証言や育江証言の中に出てくる「万一のための手榴弾交付」と同じく、幸子の無事を願いつつ、米兵の暴行・虐殺から幸子の身を守ろうとするものであり、むしろ《梅澤命令》を否定すべき「軍の善き関与」として位置づけられるものである。ここでも、これを《梅澤命令》だと捉えることは本件各書籍に描かれた《梅澤命令》の中身を根本的に変質させるすり替えに他ならない。
      なお、幸子は、神戸新聞のインタビューに対し、はっきりと「集団自決の命令はなかったが」と答えている(甲B9)。幸子自身、この筒井中尉の「もし見つかったら‥‥‥。捕まらないように、舌を噛み切ってでも死になさい」との指示が、《梅澤命令》とは異なるものであることを十分認識していたのである。 


      8 宮里トメ証言−兵士による安全誘導と食料の返還−


       原判決が《梅澤命令》の真実相当性の根拠として挙げている宮里トメの証言
      は、『沖縄県史10巻』(乙9p732〜)、『座間味村史下巻』(乙50p39〜)、
      特に『潮だまりの魚たち』(甲B59p87〜)に詳細に記載されている。 
        トメは、「軍の命令」を聞いていないが、米軍上陸後、「万一に備えて」持っていたネコイラズにより家族で自決することを決め稲崎山に登るが疲れ果てて死ぬ気力も失せた(甲B59p95)。やがて島の陸空を取り囲まれた状況等を実際に見て、「死を免れない」と考えたが、更に避難を重ねるうちに、日本兵に遭遇し「すでに敵兵はすぐ近くまで攻めて来ていて、危険だから、島の裏海岸を通った方が安全です」と親切に指示を受けている(乙B59p98)。
      更に、トメは、芋を掘る鍬を勝手に使う日本兵に対し啖呵を切り、かつて分宿していた中原上等兵と再会し、掘った芋を同人から返還を受け、更に同人から謝罪の意味であろう追加の食料を届けてもらっている(甲B59p108、乙50p47、48)。 
      こうしたトメの証言は、米軍上陸後の絶望的な戦況のなかにあった兵士達と住民達との関わりや交流の実際を伝えるものとして貴重であるが、兵士から、安全な道を指示されたり、食料を届けられたりするなど、部隊の活動を妨げないため、部隊に食料を供給するために住民に自決を命じる《梅澤命令》が出されていたとすれば、絶対にありえないことである(因みに、宮里ナヘも、わずかの食料からわけてくれる兵隊さんがいたことを証言している〈乙9p750〉)。 
      被控訴人らは、日本軍の「命令」は絶対であったとしながら、トメの証言に表れているような絶対的な「自決命令」と真っ向から矛盾する諸事実を全く見ようとしない。トメの証言を「隊長命令」を推認する根拠の一つとしてあげている原判決も同様である。証言を素直にみれば、《梅澤命令》の虚構性は明らかである。 

      2008年10月2日 06時34分 

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      控訴人準備書面(2)2/2

      平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件    
      (原審 大阪地方裁判所 平成17年(ワ)第7696号)   
      控 訴 人  梅澤裕、赤松秀一
      被控訴人  株式会社岩波書店、大江健三郎          
        
        
      控訴人準備書面(2)   
                      
      平成20年9月8日  
      大阪高等裁判所第4民事部ハ係 御中  


                      控訴人ら訴訟代理人

                     弁護士  松  本  藤  一

                     弁護士  徳  永  信  一

                     弁護士  岩  原  義  則

                     弁護士  大  村  昌  史

                     弁護士  木  地  晴  子

                     弁護士 中  村  正  彦

      弁護士 高 池  勝 彦      弁護士 本 多 重 夫

      弁護士 青 山 定 聖 弁護士 荒 木 田 修

      弁護士 猪 野   愈      弁護士 氏 原 瑞 穂 
      弁護士 内 田   智      弁護士 小 沢 俊 夫 
      弁護士 勝 俣 幸 洋      弁護士 神 崎 敬 直    
      弁護士 木 村 眞 敏      弁護士 田 中 平 八 
      弁護士 田 中 禎 人      弁護士 小 沢 俊 夫 
      弁護士 田 辺 善 彦      弁護士 玉 置   健 
      弁護士 中 條 嘉 則      弁護士 中 島 繁 樹 
      弁護士 中 島 修 三      弁護士 二 村 豈 則 
      弁護士 馬 場 正 裕      弁護士 羽 原 真 二 
      弁護士 浜 田 正 夫      弁護士 原   洋 司 
      弁護士 藤 野 義 昭      弁護士 三ツ角 直 正 
      弁護士 牧 野 芳 樹      弁護士 森   統 一 
       
      − 目 次 −

        
      第1 住民証言等にみる軍の「善き関与」  ‥‥‥‥‥ 4
       1 はじめに ‥‥‥‥‥‥ 4 
      2 金城重明証言−赤松隊による救護活動− ‥‥‥‥‥ 4  
       3 知念朝睦証言−子供らへの食料供与命令− ‥‥‥‥‥‥ 6  
       4 伊礼(古葉蔵)眞理子証言 −「命は大事に」と励ました赤松隊長 − ‥‥‥ 6
      5 宮城初枝証言−木崎軍曹による手榴弾交付と無事を喜んだ梅澤隊長 − ‥‥‥‥ 7 
      6 宮平育江証言−梅澤隊長の食料携行命令と長谷川少尉の保護命令− ‥‥‥ 10
      7 上津幸子証言−もし敵に見つかったら…の意味− ‥‥‥‥‥‥ 13
      8 宮平トメ証言−兵士による安全誘導と食料の返還− ‥‥‥‥‥‥ 13 


      第1 住民証言等にみる軍の「善き関与」
      (控訴人準備書面(2)1/2参照)


      第2 英文報告書にみる自決のアドバイスと校長ら教員による指導 ‥‥‥‥‥‥‥ 14
       1 証拠提出された英文報告書の記述 ‥‥‥‥‥‥‥ 14 
       2 校長ら教員による自決の助言ないし指導 ‥‥‥‥‥‥‥ 15 
       3 自決を助言した主体と目的 ‥‥‥‥‥‥‥ 16 
      4 慶留間島での自決指示が意味するもの ‥‥‥‥‥‥ 17

      第3 垣花武一の陳述書について ‥‥‥‥‥‥ 17
       1 はじめに ‥‥‥‥‥‥‥ 17
       2 阿嘉島における集団自決(第3項) ‥‥‥‥‥‥‥‥ 17 
       3 「全員玉砕」の打電(第4項)‥‥‥‥‥‥‥ 19 
       4 石川郵便局長の証言(第5項)‥‥‥‥‥‥‥ 20 
       5 野田隊長の謝罪と訓示(第6項)‥‥‥‥‥‥‥ 21 

      第4 推知報道と特定性について ‥‥‥‥‥‥ 21
       1 問題の所在と最高裁判決 ‥‥‥‥‥‥‥ 21  
       2 少年法61条の推知報道に関する最高裁判決 ‥‥‥‥‥‥‥ 22  
      3 最高裁判決が示した特定性の判断基準 ‥‥‥‥‥‥ 24 

                           
      第2 英文報告書にみる自決のアドバイスと校長ら教員による指導 

      1 証拠提出された英文報告書の記述 

      原判決は、米軍の『慶良間列島作戦報告書』(乙35の1、2)の座間味村の状況について「明らかに、民間人たちは捕らわれないように自決するように指導されていた」との記述があることを極めて重要視し、「沖縄に配備された第32軍が防諜に意を用いていたに通じる」と述べて(原判決p203〜204)、「集団自決に梅澤隊長が関与したこと」の認定資料として認め(同p204〜205の5行目)、その上で真実相当性の結論に至っている(同p205(カ))。
      『慶良間列島作戦報告書』の証拠評価に関する原判決の問題点は、控訴理由書p49〜で詳細に述べたとおりであるが、被控訴人らは、米軍の「慶良間列島作戦報告書」(乙35の1、2)に記載されていた「座間味島」に関する報告書の英語原本を今になって提出してきた(乙114の1)。
      該当英文は、
      「Apparently、civilians had been advised to attempt suicide to avoid being captured.」
      (明らかに、村民たちは、捕まることを避けるため、自殺を試みるように「アドバイス」されていた)
      となっている。被控訴人らが今まで英文を提出しなかったのは、「アドバイス(助言)」は、その語義からしても到底「命令」と解することはできないことに加え、英文においても受け身形がとられており、自決を「アドバイス」した主体が不明であることにあると思われる。この記載をもって「軍が」自決を指導した証拠であるとし、しかも、それが軍の防諜目的によるものだとした原判決の認定には、予断に基づく論理の飛躍があることは明らかである。

      2 校長ら教員による自決の助言ないし指導 

      美恵子、恒彦は、壕の中で校長らの壮絶な自決のありさまを目撃しており、
      その証言は、『沖縄県史第10巻』(乙9p739)、『座間味村史下巻』(乙50p31)『母の遺したもの』(甲B5p129〜135)、『潮だまりの魚たち』(甲B59p54)に収められている。
      美恵子が上陸してきた米兵から銃剣をつきつけられたこと等を話すと壕内は騒がしくなる。恒彦は、「殺される」ということだけが頭の中をかけめぐったと証言している(甲B59p54)。
      そのとき校長は、
            「めいめい自分で死ぬ方法を考えてください」(甲B59p55)、「死ぬ気持ちを惜しまないで、立派に死んでいきましょう」(甲B5p130)
         と言い、かねてから用意していたカミソリや手榴弾による壮絶な自決が始まる。
      また、ここで亡くなった教員の内間敏子は、忠魂碑前に向かう途中教え子に、
         「座間味はアメリカの船団が取り巻いているのよ。先生もこれから忠魂碑前で玉砕するから、あなたも立派に死になさいね」
       と言い、自決直前の壕の中では、
            「いざとなったとき、生き恥をさらしてはいけませんよ」
               「捕虜になれば、敵の虐待を受けて殺されます。“玉砕”はこわくはありません」
            とやさしく言葉をかけていた(甲B5p135)。

      3 自決を助言した主体と目的 

      校長や内間教員が宮平美恵子や教え子たちに言った「死ぬ気持ちを惜しまないで、立派に死んでいきましょう」「いざとなったとき、生き恥をさらしてはいけませんよ」「捕虜になれば、敵の虐待を受けて殺されます。玉砕はこわくはありません」などといった指導は、捕まって生き恥をさらすより自決を選択するようアドバイスするものであったといえる。即ち、『慶良間列島作戦報告書』における自決のアドバイスそのものである。
      このことは2つの事実を示唆する。第1に、忠魂碑前の集合を命令したのが盛秀助役ら村幹部であったことも踏まえると、座間味島において自決を助言していたのは、軍ではなく、校長や教員らを含めた村幹部であったことが浮かび上がってくる。第2に、教員らによってなされた自決の助言ないし指導は、あくまで教え子らを、米軍の暴行・虐殺から守り、生き恥をさらして人としての尊厳を奪われないためになされた助言(アドバイス)そのものであり、軍の「防諜」を主目的とする命令ではなかった。
      4 慶留間島での自決指示が意味するもの
      更に、乙35の2には、「日本兵という主語が明記されているのは慶留間のケースだけ」と林教授自身が記載している。このことは、座間味島や渡嘉敷島では、軍が「自決を指導」していた事実がないことの証拠ともいえよう。そして、その唯一のケースが記載されている慶留間島(げるまとう)に関する乙35の英文によれば、住民は兵士らから、まず「山中に隠れろ」と言われており、自決の指示は条件付きのものである。それは、宮城初枝や宮里育江らが、交付された前記の「万一のための手榴弾」と同様、軍の「善き関与」であったことが分かる。
      結局、『慶良間列島作戦報告書』の記載は、《隊長命令》を否定すべき「軍の善き関与」を語っているとはいえても、《梅澤命令》を肯定すべき「軍の関与」を示しているとは到底いえないのである。

      第3 垣花武一の陳述書について 

       1 はじめに
      当時15才の阿嘉島の住民であり、阿嘉島で結成された少年義勇隊の一員であった垣花武一の証言は『沖縄県史第10巻』に「阿嘉島の戦闘経過」(乙9p722〜)として、また、『座間味村史下巻』に「あこがれの軍隊−少年兵としての戦闘参加−」(乙50p144〜)として収められている。この度、垣花武一の陳述書(乙105)が被控訴人らから提出された。それは、阿嘉島における集団自決に関するものであるが、伝聞にもとづく不確かな情報が多く、重要な点において、これまでの自らの証言とも他の信用すべき住民証言の内容と食い違うところが多々あり、極めて信用性に乏しい。

      2 阿嘉島における集団自決(第3項)

         陳述書によれば、阿阿嘉島でも3月26日から27日にかけて阿嘉島の住民約380名が、杉山という山の中に集まり、手榴弾を抱えた人を中心にいくつかの円陣を作り、目隠しをし、集団で玉砕しようとしたという。3名の日本兵が丘の上に機関銃を構え、私たち住民に銃口を向けたが、防衛隊がきて、「今すぐ死ぬことはないしばらく待て」と伝えたため、自決には至らなかったとある。
         同様の話は『座間味村史下巻』に収められた垣花武栄(武一の父)の証言(乙50p130〜)にも出てくる。「3月27日、山奥(スギヤマ)に避難していた部落民は、もはや戦況がこのようになっては、玉砕以外に道はないということで、全員が広場に集まって機関銃を前に時を待った。そしてみんな口々に『天国に行くんだよ、みんな一緒だから怖くないよ』と家族同士ささやきあっていた。ところが『集団自決』寸前になって、防衛隊員の命令で、『米軍は撤退したから自決することはよせ』ということになり、その場は解散することになった」(p131)。
      また、『沖縄県史第10巻』でも当時15才だった中村仁勇(武一の親戚)が次のように証言している。「26日の斬り込みの晩、防衛隊の人たちが戦隊長のところへ行って『部落民をどうしますか、みんな殺してしまいますか』ときいたわけです。野田隊長は、『早まって死ぬことはない。住民は杉山に集結させておけ』と指示したそうです。」(乙9p708)「翌日、山の上をみると、そこに谷間に向けて機関銃を据えて兵隊が3名ついているのが見えました。後で聞いたんですが、糸林軍医が2名の兵隊をひきいて銃座についていたということです。その友軍の機関銃を見て、住民は、いざとなったら自分たちを一思いに殺してくれるんだと、安心していました。みんな一緒に玉砕できるんだということで、かえって混乱がしずまったんです。当時の私たちは、とにかくアメリカにつかまったら、マタ裂きにされて、大変になるんだと、そればっかりがこわかったわけですから、敵が上陸してきたら玉砕するんだとみんなが思っていたわけです。」(乙9p709)
      さて、『座間味村史下巻』に収められた武一の証言によれば、少年義勇隊だった武一は、3月26日の晩から行われた斬り込み隊に編成され、出陣の合図を待っていたという。義勇隊の斬り込みは中止されたが、それ以後もずっと軍と行動を共にしていたとあり、27日の杉山での場面は出てこない(乙50p148〜149)。武一が杉山に集まったかどうかは疑わしい。しかも重要な点で粉飾が施され、部隊が住民を自決に追い込もうとしたように歪曲されている。住民が手榴弾を抱えていたことや、日本軍の兵士が銃口を向けていたことは、武栄の証言にも中村仁勇の証言にもない(中村仁勇の前記証言では、銃口は谷間に向けられていたとある)。また、防衛隊員の伝令で自決が中止されたことは共通しているが、武栄の証言では「米軍は撤退したから自決するのはよせ」との命令があったことが語られているが、武一の陳述書では「今すぐ死ぬことはない、しばらく待て」と伝えられたとされている。そもそも安全地帯であった杉山への避難は、野田隊長が「早まって死ぬことはない。住民は杉山に集結させておけ」としたことによるのである(乙9p709)。
      『沖縄県史第10巻』ないし『座間味村史下巻』に収められた中村仁勇の証言(34年以上前)、垣花武栄の証言(18年以上前)が、その信用性において武一の陳述書より格段に上回ることは論じるまでもない。  

      3 「全員玉砕」の打電(第4項)

         武一は陳述書において「慶良間列島の日本軍は、軍とともに住民を玉砕させる方針だったのだと思います」との意見を述べ、その理由として柴田通信隊長が、3月26日に軍指令にあて「軍も住民も全員玉砕する」と打電し、無線機を破壊したことがあげられている。
      ところが、柴田通信隊長の話は、1974年に発刊された『沖縄県史第10巻』に収められた武一の証言にも出てくる。そこでは、「通信隊の柴田少尉は、この調子では部落民も兵もだめということで、どうせ死ぬものならと、『阿嘉島守備隊、最後の一兵に至るまで勇戦奮闘、悠久の大義に生く』の電報を打つと、受信機だけを残して発信機をたたきこわしました」とある。
         内容の迫真性、通信内容、語られた時期、『沖縄県史第10巻』の公的性格から、そこに収められた証言内容が正しいことは明らかであろう(打電された通信内容は中村仁勇の証言とも合致している。乙9p705)。そこには部隊の玉砕はあっても「住民の玉砕」は含まれていなかった。しかも、それは「どうせ死ぬものなら」という柴田通信隊長の考えによるものであった。
      柴田通信隊長による打電は、「住民の玉砕」が慶良間列島の日本軍の方針だったという武一の推測をなりたたせるものではなかった。陳述書は、なんとか自決命令を導き出そうと事実を脚色する被控訴人らの姿勢を浮き彫りにしている。 

      4 石川郵便局長の証言(第5項)

      陳述書のなかで、武一は、日本軍が座間味村の村幹部に集団自決を指示していたという話を座間味村の郵便局長だった石川から聞いたという。垣花は昭和42年に郵便局につとめ、局長の石川の話を聞く機会があったようだが、「村の幹部は、米軍が上陸したら軍の足手間といにならぬよう住民を玉砕させるよう、軍から命令されていた」と話していましたとし、昭和20年の2月ころ、「村の三役が石川さんたち要職者を村のある場所に秘かに集め、米軍が上陸した場合は住民を玉砕させるよう軍から命令されている、と打ち明けたということでした」という。 
      この石川郵便局長の話は、武一の伝聞に過ぎないが、座間味島の住民の証言が記録された『沖縄県史第10巻』にも『座間味村史下巻』にも『母の遺したもの』にも『潮だまりの魚たち』にも一切登場しない。その内容の重大性に照らせば、不自然極まりない。座間味島にきた武一が「在職中何度も聞かされた」というのだから、石川郵便局長が当時、この話を秘匿していたわけでもない。武一自身も伝聞として語る機会はいくらでもあったにもかかわらず、その証言録のなかでは、触れられていない。 
      そもそも、昭和20年の2月頃は、島に米軍が上陸するようなことは日本軍においても全く想定されていなかったのである。梅澤隊、赤松隊は、沖縄本島に向かうと考えられていた米艦隊に夜陰に乗じて特攻ボートで体当たりする特攻隊であり、陸戦を戦う火器の準備もなかったのである。部隊が、この時期に、想定もされていない米軍上陸の事態に備え、住民の玉砕を命令したなどということはありえない。 
      杉山での集団自決のことや柴田通信隊長による打電の話にみるように、本陳述書における武一の証言は、粉飾と歪曲に満ちており、そこには、なんとしてでも軍命令による住民玉砕を打ち出そうとする強い意図が働いていることがみてとれる。石川郵便局長の話もまた、全く信用性がないものであることは明らかである。 

      5 野田隊長の謝罪と訓示(第6項)

        陳述書は、昭和47年3月26日、野田戦隊長が部下を引き連れ阿嘉島の慰霊祭にきたことに触れている。そこで住民に憎まれていた野田戦隊長が住民虐待のことを「申し訳なかった」と謝罪したことが述べられている。
      阿嘉島における食糧難の実情が、渡嘉敷島や座間味島に比べて深刻であり、食糧をめぐる島民と兵士とのいさかいが頻繁にあり、厳しく取り締まる必要があったことについて、合同慰霊際に訪れた将校たちから聞かされたことを『沖縄県史第10巻』において照喜屋定森が証言している(乙9p726)。野田戦隊長は住民から反感をもたれていたようであるが、当時15才だった中村仁勇は「ただ一つ、住民に対する措置という点では立派だったと思います」と証言しており(乙9p708)、野田戦隊長は、阿嘉島では住民の自決者を出さなかった。 
        また、陳述書には、慶留間島では住民の大半が自決しているが、2月8日の大詔奉戴日に、野田戦隊長が「敵上陸の暁には全員玉砕あるのみ」と訓示したためではないかと話したところ、野田氏は「俺があんなことを言わなければ」と、後悔の言葉を口にしていたとあるが、慶留間島の集団自決が野田隊長の訓示が原因だったというのは極めて疑わしい。そのような話は、『沖縄県史第10巻』及び『座間味村史下巻』に収められた慶留間島の住民の証言には出てこない。
        いずれにしても、何らの強制的契機をもたない約2カ月前の慶留間島での訓示が、慶留間島における集団自決の命令であるわけはないし、座間味島や渡嘉敷島での集団自決の原因となったわけでもなく、《隊長命令》の根拠となるものではない。 

      第4 推知報道と特定性について 

      1 問題の所在と最高裁判決

        原審においては、特に『沖縄ノート』に関して、控訴人梅澤、赤松大尉が特定できるかという特定性、名誉毀損性が争点となったが、原判決は、いずれをも肯定しており、結論的には極めて正当な判断である。
         しかし、なおも被控訴人らは、原審と同じく、特定性がない旨の主張を繰り返しているところ、原判決も「特定情報を明示していなかったとしても」(原判決p101)として、あたかも『沖縄ノート』の記載自体では特定できないかのごとく判示している点で、若干の問題があるので、念のため整理しておく。
        この問題、すなわち、本件記述2(原判決p5)の特定性、名誉毀損性の有無は、「座間味島」の集団自決、すなわち、『沖縄ノート』に記載された「慶良間列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決」という「この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷島の酷たらしい現場」における「日本人の軍隊の−中略−という命令に発する」「この事件の責任者」が控訴人梅澤だと特定されているかどうかにかかっている(なお、被控訴人大江は、「この事件の責任者」は、慶良間列島の2人の守備隊長のことであるとし、控訴人梅澤も含んでいることを認めている。〈乙97p11〉)。 
         しかし、特定性の判断基準に関して終止符を打ったといえる最高裁平成15年3月14日判決民集57-3-229(その判例解説として甲C18p143〜167)によれば、控訴人梅澤が『沖縄ノート』の記載自体から「推知」されるとも言えるし、仮にそうではないとしても、控訴人梅澤と面識を有する者や、『鉄の暴風』や引用されている上地一史著『沖縄戦史』を読んだことのある不特定多数の一般読者において特定が可能である以上、名誉毀損の特定性においても問題がないことは明らかである。「座間味島」における「日本人の軍隊」の「事件の責任者」は、控訴人梅澤一人しかおらず、控訴人梅澤と面識等のない不特定多数の一般人においてさえも「推知」可能な十分な重みを持つ特定情報なのである。

      2 少年法61条の推知報道に関する最高裁判決 

      上記最高裁の原審は、少年法61条の「推知」報道に該たると判断したが、最高裁は、そもそも「推知」報道に該たらないとしながらも、しかし、個別的な名誉権等の侵害は認め、それら個別的な違法性阻却事由等が判断されていないことを理由に差し戻した。最高裁は、「推知」は否定したが、名誉権侵害に関する「特定」については、より広い基準(後述)で肯定したのである。
      そうとすれば、少年法61条の推知性は、名誉毀損性に関する特定性が肯定される範囲より狭い範囲の概念といえ、「推知」に該当すれば、当然、名誉毀損に関する「特定」がなされていると判断されてよいことになる。
      最高裁は「少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべき」とする。
      最高裁のこの基準に関しては、甲C18p153〜に最高裁判例解説に詳しい説明がされているが、要するに、「推知報道」というためには、「その記事等自体」に「本人と一義的に特定できる情報」が記載されている必要があり、その場合には、名誉毀損被害者と「面識等のない不特定多数の一般人」においても、推知可能だといえる。
      本件『沖縄ノート』自体に記載された「座間味島」における「日本人の軍隊」の「事件の責任者」は、隊長であった控訴人梅澤以外おらず、少年法61条の列記事由たる「氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等」と同じく「本人と一義的に特定できる情報」であることは明らかである。例えていうならば「日本国第○代総理大臣」と同じように、その職業から「本人と一義的に特定できる情報」が、『沖縄ノート』自体に記載されており、控訴人梅澤と「面識等のない不特定多数の一般人」においても「推知」することが可能なのである。 
      この点、被控訴人大江は、自ら『沖縄ノート』の本件記述2の「この事件の責任者」と書いているのは、「慶良間列島の2人の守備隊長のことです」として控訴人梅澤をも対象としていることを認めている(乙97p11)にもかかわらず、控訴人梅澤は特定されていないとする。被控訴人らの主張を善解すれば、「座間味島」における「日本人の軍隊」の「事件の責任者」とあっても実名が記載されなければ、沖縄戦等に知識がない者には、それが控訴人梅澤と分からないのではないかという主張ともいえよう。
      しかし、この主張が失当であることは、次の例からも明らかであろう。
       「1994年ノーベル文学賞受賞者」(この年文学賞は一人)
      「1994年日本人ノーベル賞受賞者」(この年日本人受賞者は一人)
       「8人目の日本人ノーベル賞受賞者」
       「2人目の日本人ノーベル文学賞受賞者」
      これらは、1人の同じ人物を指すが、これらの情報を提供されても即座に誰々と分かる者は希であろう。このように「推知」の概念は、その記載だけを見て即座に本人と現実に分かるものだけが含まれるというものではない。あくまで「本人と一義的に特定できる情報」が記事自体から提供されているかで決せられるのである。

      3 最高裁判決が示した特定性の判断基準  

         上記最高裁判決は、上記の基準に照らし、当該表現を少年法61条の「推知報道」に該当しないと判断したが、名誉毀損の要件としての特定性については、次のとおり、より緩やかな基準をもって判断し、これを肯定している。 
      「本件記事に記載された犯人情報及び履歴情報は、いずれも被上告人の名誉を毀損する情報であり、また、他人にみだりに知られたくない被上告人のプライバシーに属する情報であるというべきである。そして、被上告人と面識があり、又は犯人情報あるいは被上告人の履歴情報を知る者は、その知識を手がかりに本件記事が被上告人に関する記事であると推知することが可能であり、本件記事の読者の中にこれらの者が存在した可能性を否定することはできない。そして、これらの読者の中に、本件記事を読んで初めて、被上告人についてのそれまで知っていた以上の犯人情報や履歴情報を知った者がいた可能性も否定することはできない。」
      本件では、仮に、『沖縄ノート』の本件記述2において控訴人梅澤を一義的に特定できる情報が含まれていないという判断がなされたとしても、控訴人梅澤と面識を持つ者、或いは、『鉄の暴風』や上地一史著『沖縄戦史』を読んだ不特定多数の一般読者において控訴人梅澤を推知することは十分可能である。ましてや、原判決を含め、本件訴訟に関心を持つ不特定多数の一般人が、『沖縄ノート』の本件記述における「この事件の責任者」が控訴人梅澤であることを推知することは余りにも容易である。
      ここまで考えれば、本件記述2において控訴人らが特定されていると認定するうえで、何らの支障もないことは明らかである。
                                         以上
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      2008年10月2日 06時21分

       

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        • 2017.02.02 Thursday
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