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    控訴人準備書面(3)(1,2は別途)大阪高裁 平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件

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      控訴人準備書面(3)(1,2は別途)大阪高裁 平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件

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      控訴人準備書面(3) 

      平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件    
      (原審 大阪地方裁判所 平成17年(ワ)第7696号)   
      控 訴 人  梅澤裕、赤松秀一
      被控訴人  株式会社岩波書店、大江健三郎     

       

          
      控訴人準備書面(3)
                        
      平成20年9月9日  
      大阪高等裁判所第4民事部ハ係 御中  

                      控訴人ら訴訟代理人

                      弁護士  松  本  藤  一

                      弁護士  徳  永  信  一

                      弁護士  岩  原  義  則

       

                      弁護士  大  村  昌  史

                      弁護士  木  地  晴  子

                       弁護士 中  村  正  彦



      弁護士 高 池  勝 彦      弁護士 本 多 重 夫

      弁護士 青 山 定 聖 弁護士 荒 木 田 修

      弁護士 猪 野   愈      弁護士 氏 原 瑞 穂 
      弁護士 内 田   智      弁護士 小 沢 俊 夫 
      弁護士 勝 俣 幸 洋      弁護士 神 崎 敬 直    
      弁護士 木 村 眞 敏      弁護士 田 中 平 八 
      弁護士 田 中 禎 人      弁護士 小 沢 俊 夫 
      弁護士 田 辺 善 彦      弁護士 玉 置   健 
      弁護士 中 條 嘉 則      弁護士 中 島 繁 樹 
      弁護士 中 島 修 三      弁護士 二 村 豈 則 
      弁護士 馬 場 正 裕      弁護士 羽 原 真 二 
      弁護士 浜 田 正 夫      弁護士 原   洋 司 
      弁護士 藤 野 義 昭      弁護士 三ツ角 直 正 
      弁護士 牧 野 芳 樹      弁護士 森   統 一 

       − 目 次 −  
        
      第1 立証された《赤松命令》の虚偽性 ‥‥‥‥‥‥ 4
       1 沖縄における『ある神話の背景』の評価と影響 ‥‥‥‥‥‥ 4
      2 『鉄の暴風』の資料的価値再考 ‥‥‥‥‥‥ 5 

      3 『沖縄県史第10巻』と『太平洋戦争』から削除された《赤松命令説》 ‥‥‥‥ 6 
       4 事前の手榴弾交付と《赤松命令説》との決定的な違い ‥‥‥‥‥ 7 
       5 結論の再確認  ‥‥‥‥‥‥‥ 8 

      第2 本件訴訟の目的について ‥‥‥‥‥‥‥‥ 9  
       1 控訴人らの真意 ‥‥‥‥‥‥‥ 9
       2 命令説が果たした役割 ‥‥‥‥‥‥‥ 10 

       

      第1 立証された《赤松命令》の虚偽性 


       1 沖縄における『ある神話の背景』の評価と影響 


      曽野綾子著『ある神話の背景』は、出版直後から沖縄においても高い評価がなされ、沖縄の良心的な言論人に強い反省をもたらした。小林よしのり編著『誇りある沖縄へ』(甲B139)の中で、宮城能彦沖縄大学教授は、『ある神話の背景』が出版された昭和48年当時の同書に対する地元沖縄の言論空間における評価の高さを指摘している。 
      当時琉球大学の助教授であった岡本恵徳は、昭和48年6月8日付『沖縄タイムス』において、『ある神話の背景』につき、「あたう限りの時間と労力を注ぎ込み、現存する資料や、渡嘉敷島の生存者、さらに自決命令を下したと伝えられる赤松嘉次氏やその部下、また赤松氏の責任を追求する人達にまで幅広く接触して、真相を追求しようとする著者の姿勢には迫力さえ感じさせるものがあった」とし、「視線はあくまで冷静で文章も理性的に抑制されており、その点でかなり説得力のあるものとなっている」と評価したうえで、「結論では注意深く断定は避けてはいるものの、赤松元大尉が自決命令を下した可能性のないことを浮き上がらせており、このような惨劇のなかでの人間のありかた、そのような人間のありかたに対する人間の責任追及ということのもつ意味を奥深い所で問いかけているのである」と正しく分析している(甲B135)。  
      更に、昭和46年6月10日付沖縄タイムスでは、「何故、沖縄の圧倒的に多数の人々が、事実を確かめようとすることなく、赤松元大尉が命令を下したと信じたのかということは、赤松元大尉の責任の問題とは別種のことがらであろう。そのような“信仰”が成立した背景には、沖縄の本島の戦争の体験のなかで同種の事件が広範に存在したからであり、そのことが、事実を確かめるまでもないことだという判断を生んだに違いない」(甲B136)と推測している。
      そこで岡本は、集団自決における命令の有無にかかわりなく、軍が責任を免れ得ないことを論じようとしているが、そのことは、『沖縄ノート』が論評の前提としている《赤松命令》の真偽とは別次元の議論であり、「別種のことがら」である。あくまでも、岡本は、当時信じられてきた《赤松命令》が事実を確かめることなく成立した虚偽の信仰であることを認めているのである。
      沖縄の作家である星雅彦は、同年6月13日付沖縄タイムス紙上において、『ある神話の背景』について、「ともかく曽野綾子の切れ味はみごとというべきである。多くの沖縄戦記の集団自決をあつかった章が、まちがいであったことを、一網打尽のごとく、立証したのだから。それは沖縄問題のあらたな転機を予見させるかのごとく、前代未聞である」と評価している(甲B137、甲B139p183)。
          地方公務員のいれいたかしは同年6月20日付沖縄タイムス紙上で、「著者は、集団自決に果たして赤松命令があったかどうかを執拗に追い続ける。もちろんそれはあるはずがない」と述べている(甲B138、甲B139p183)。
      これらは要するに、『ある神話の背景』が出版された昭和48年当時、沖縄の言論空間においても、『鉄の暴風』で描かれ、『沖縄ノート』で事実として引用されるに至った《隊長命令》の有無という事実問題については、「こうした軍命はなかった」という見解が一般化していたことを示すものである(同p184、5〜7行目)。 


       2 『鉄の暴風』の資料的価値再考 


      宮城教授は、『鉄の暴風』の執筆者の1人である太田良博が、「自分は誰から取材したか覚えていない」と述べていることについて、「ハッキリ言って、誰から話を聞いたか記録をとっていないということは、新聞記者に限らず私たち聞き取り調査をする人間にとっては致命的なことであり、そういう証言はもはや資料的価値がない。使えないはずなんです。聞き取り調査というものは、話者の名前や職業、社会的地位だけでなく、経歴その他、そして、誰がどんな状況でどんな訊き方をしたのかまでが問われる。もちろん、そこまで記事に書くわけではないのですが、裏付けとしてそういう記録は何より大切なはず。それを、開き直って堂々と『忘れた』とか記録がないとか言える神経が私には全くわからない」と酷評している(甲B139p186)。
         研究者の種稲秀司も、宮城教授と同様の見解を述べている(甲B141)。「 『鉄の暴風』は、証言者たる住民の氏名が記載されていないため情報源が不明であり、証言の真偽についてウラのとりようがない。曽野綾子氏によると沖縄タイムス社から依頼されて執筆者となった太田良博氏が、渡嘉敷・座間味両島の集団自決を書く際に、山城安次郎・宮平栄治の両氏から証言を得た。しかし、宮平氏は当時南方に出征中であり、山城氏は座間味島にいた。この二人の「伝聞」が集団自決の証拠として固定された(『ある神話の背景』)。太田氏自身は、後年、渡嘉敷・座間味両島の記述は住民側の証言をそのまま信じたもので、梅澤戦隊長が死亡したとの誤記もこれによるもの、と語っている(『太田良博著作集』第三・五巻)。つまり、住民の証言が正しいか否か、十分な検証をしていなかったのである。」
         (甲B141p26上段最後から6行目〜)。「歴史史料としての価値判断に欠かせないことの一つが、史料における誤記の有無であるが、『鉄の暴風』は、(瞳海渡嘉敷島に上陸した3月27日を3月26日と間違っており、➁座間味島の日本軍は最終的に『全員投降、隊長梅沢少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの2人と不明の死を遂げたことが判明した』とあるが、梅澤氏は健在であり、『全員投降』の事実もない(座間味島の部隊の損害は大きく、戦死者は210数名に登った)」(甲B141p26下段最後から2行目〜p27の対照表)。
         原判決が事実認定において資料的価値を有するとして重視した『鉄の暴風』に歴史を検証する資料的価値のないことは余りにも明らかである。 
       
      3 『沖縄県史第10巻』と『太平洋戦争』から削除された《赤松命令説》 


         少なくとも渡嘉敷島においては、《赤松命令説》、即ち、『鉄の暴風』が描き、これを下敷きにした上地一史著『沖縄戦史』に記述され、これを『沖縄ノート』が事実として引用した「日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎え撃ち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令」(甲A3p69)の事実がないことは、沖縄における歴史研究においても定着し、昭和59年3月に発行された『沖縄県史第10巻』(乙9)においては、従来の立場がはっきり見直され、それまであった「渡嘉敷島でいよいよ敵の攻撃が熾烈になったころ、赤松大尉は『住民の集団自決』を命じた」という《赤松命令》は削除され、係争中だった家永教科書訴訟において集団自決が軍の命令に基づくものだとして争っていた家永三郎も、昭和61年9月に発行された『太平洋戦争』(第2版)において初版本(甲B7)の立場を変更し(甲A1p鵝像)、《赤松命令》を同書から削除したことは、こうした歴史研究を踏まえたものであった。

      4 事前の手榴弾交付と《赤松命令》との決定的な違い 


      昭和62年に出版された『渡嘉敷村史資料編』(甲B39)には、「自決の直接的な動機についても不明な点が多い。『生キテ虜囚ノ辱メヲウケズ』という皇民化教育のもとにあったとはいうものの、島の『日本軍指揮官や指導者層の命令あるいは何らかの示唆』が、自決の誘引になったことも数多く指摘されている」としているだけで、日本軍指揮官(赤松隊長)による命令についてはその内容が特定されず、「何らかの示唆」と同列に論じられており、しかもそれは自決の「誘因」となったとしてあげられているだけで、軍の命令がもっているはずの逆らいがたい「強制力」については触れられていない(365p下段)。 
      ところで、『渡嘉敷村史資料編』には、「(渡嘉敷島では)すでに、上陸前に、村の兵事主任を通して軍から手りゅう弾が配られており、『いざという時』にはこれで自決するように指示されていたといわれるが、誰が『いまが自決の時だ』と判断し自決を指示したかは不明である」(366p下段)ともある。
         ここで指摘しておきたいことは、『沖縄ノート』に書かれている《隊長命令》、即ち、「日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎え撃ち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令」は、有無を言わさぬ強制であり、『いざという時』のため、米軍による暴行・虐殺を免れ、人としての尊厳を守るために手榴弾を渡して自決を示唆し、その誘因となったという類のものとは全然違うということである。『沖縄ノート』では、赤松隊長は、「およそ人間がなしうるものとは思えぬ決断」としての自決命令を発し、「余りに巨きな罪の巨塊」を犯したものと断定され、「屠殺者」と呼ばれ、「アイヒマンのように裁かれるべきだった」とされているのである。それは、何よりも部隊が生き延びるため、住民に犠牲を強いる非情の命令であった。そして、そこでの命令は、住民の意思を制圧するだけの強制力を伴うものであったと一般の読者は理解するのである。
         『鉄の暴風』で描かれ、『沖縄戦史』で記述され、『沖縄ノート』に引用された軍隊の命令は、かかる非情の命令であり、➀部隊が生き延びる目的のために、➁住民の犠牲を、➂強制するもののことである。
         かかる非情かつ無慈悲な自決命令としての《赤松命令》が存在しなかったことは明らかであって、『いざという時』のための手榴弾の交付と自決の指示は、それとは全く別のものである。それは、集団自決という悲劇に対する赤松隊長の責任、あるいは軍の責任を問うことはできても、『沖縄ノート』に事実として引用された自決命令とは、重要な点において異なっているばかりか、赤松隊長に対する「罪の巨塊」や「屠殺者」や「アイヒマン」などといった一方的で究極的な人格非難を正当化できるものではないのである。  
         なお、米軍上陸前の「3月20日」に「村役場」に「17才以下の少年達を集め」、村の兵事主任を通じて軍が手榴弾を配布したという富山証言が極めて疑わしいものであることは、金城重明証言及び吉川勇助の陳述書から明らかになっており、このことは控訴理由書p108以下で詳しく述べたところである。  


       5 結論の再確認  


         事前の手榴弾交付を自決命令の根拠だとする被控訴人らの議論は、実態としては、「示唆」であり、「誘因」に止まるものを、強制力を伴う「命令」と強弁するものであった。集団自決の原因としては、米軍に対する恐怖、鬼畜米英の刷り込み、皇民化教育、戦陣訓、家族愛、部隊や兵士そして教員や村幹部からの『いざというとき』の自決の示唆というものがあったことは、これまで提出された証拠から明らかである。それらは、軍や赤松隊長の集団自決の「責任」を論じる根拠とはなっても、事実としての自決命令、即ち、➀部隊が生き延びるために、➁住民の犠牲を、➂強制する「命令」ではない。
      被控訴人らは、集団自決に関する軍の責任の有無という規範的評価に関する問題を、隊長からの発せられた自決命令の存否という事実の証明の問題とすり替えようとしているのである。  
         もはや『沖縄ノート』に事実として書かれた渡嘉敷島における《隊長命令》が事実でないことは明らかであり、その虚偽性は完全に立証されている。

      第2 本件訴訟の目的について 

       
       1 控訴人らの真意  

        
       被控訴人らは、本件訴訟が、控訴人らの自発的な意思によるものではなく、特定の歴史観に基づき歴史教科書を変えようとする政治運動の一環として行われていることが明らかであると非難するが、控訴人らが自らの意思で本件訴訟を提起し、出版停止等を求めていることは、彼らが法廷で述べたところからも明らかである。 
       また、控訴人梅澤が提訴前に『沖縄ノート』を通読していなかったことや、控訴人赤松が、これを飛ばし飛ばしで読んだことを取り上げて非難しているが、名誉毀損訴訟においては、名誉を毀損し、敬愛追慕の情を侵害する記述が存することの認識があれば十分であり、事前の通読を必要とするかのような被控訴人らの主張は全く理解しがたいところである(因みに、新聞記事や週刊誌による名誉毀損訴訟において、誹謗箇所とは関係のないテレビ欄や社説、別事件の記事を読んでいなくとも名誉毀損を問うことの障害にならないことと同じである)。 
         そもそも控訴人らの提訴の動機は、単なる自己の名誉や敬愛追慕の情の侵害にとどまらず、権威をもって販売されている本件各書籍や教科書等の公の書物において、沖縄における集団自決が赤松隊長ないし控訴人梅澤が発した自決命令によって強制されたという虚偽の記載がなされていることに対する義憤であり、このまま放置することができないという使命感であった。そのことは、また、代理人らも月刊誌等において広く訴えてきたところである(乙116)。そしてその意味では、昨年の教科書検定を通じて教科書から「命令」や「強制」が完全に削除されたことは、勇気をもって提訴に及んだ訴訟の目的の一つを達したと評価できる事件であった。   
         世間の耳目を集める訴訟が個人の権利回復に止まらず、より大きな政治的目的を併有していることは珍しいことではない。著名な薬害エイズ訴訟や薬害肝炎訴訟もまた、原告本人に対する損害賠償という目的のほかに、被害者全員の救済(そこにはエイズ治療や肝炎治療に係る医療体制の充実や真相究明による再発防止も含まれていた。)という政治目的を掲げていたことはよく知られている。 
         こうした主張は、控訴人らを冒涜するものであり、裁判所に予断と偏見を持ち込まんとするものである。証拠に基づく審理がなされるべき司法において持ち出すべきものではないだろう。  

       
       2 命令説の果たした役割 

       

       本件訴訟を通じて思うことは、集団自決の歴史を伝えていくうえで『命令』説が果たしてきた役割のことである。すでに論じてきたように、集団自決の原因は、島に対する無差別爆撃を実行した米軍に対する恐怖や鬼畜米英の思想、皇民化教育や戦陣訓、死ぬときは一緒にとの家族愛、そして防衛隊や兵士から『いざというとき』のために渡された手榴弾など様々の要因が絡んだものである。これを軍の命令としてくくってしまうことは過度の単純化、図式化であり、かえって歴史の実相から目をそらせるものである。 
         そもそも仮に、「住民は自決せよ」という軍の命令があったとしても、果たしてそれにやすやすと従って、愛する家族や子供を手榴弾やこん棒やカミソリで殺せるものであろうか。それは、現在に生きる一般人の想像を超えている。そこでの村民は、『沖縄ノート』に描かれているように、「若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者」であり、近代的自我や理性のかけらもない「『土民』のようなかれら」としてしか認識できないことになるのである。  
         それは日本がかつて経験したことのない地上戦としての沖縄戦において集団自決という悲劇を経験した沖縄県民の尊厳を貶めるものにほかならない。
      集団自決の歴史を正しく伝えていくことは、軍命令という図式ではなく、米軍が上陸する極限状況のなかで住民たちが、その時、何をどのように考え、どのような行動の果てに自決していったのかを伝えていくことにある。
      そのことが本件訴訟の目的である。
                                         以上

      2008年10月1日 04時03分


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